波乱万丈の釣り人生を送ってきた菊元俊文さんは、ジョイクロのS字軌道並みにターニングポイントが多かった。ざっと挙げただけで影響を与えたルアーは23個(!)にも及ぶ。しかし残念ながら、ほとんどのルアーが行方不明ということなので、ここでは10個に絞って菊元さんのメモリアル・ターニングポイントルアーをご紹介します!
【Profile】
菊元俊文(きくもと・としふみ)
JBTA(JB・NBCの前身)1986年の大栄通商カップを制し、スターダムに上がったビッグバスハンター。1997年はJBワールド年間チャンプを獲得。その後2002年以降はメディアに活躍の場を移して、バスフィッシングの普及に大きく貢献した。エバーグリーンの開発スタッフとして名竿・名ルアーの数々を手掛ける。
衣装ケースに入った推定日本記録
マグナムトーピード(ヘドン)
ヘドンの人気シングルスイッシャー。80年代から一時期製造を中断していた。当時使っていたのはGRAカラーだったが、現存せず。写真は、後に復刻されたモデルのSカラー。
菊元俊文、恐らく21歳の頃。友人と共同で購入した12ftのジョンボートを車の屋根に積み、向かった先は池原ダムだった。
当時の池原のイメージは「ビッグバスの聖地」ではなくむしろ「秘境」。4馬力エンジンなので、どこへ行くにも時間がかかる。でも、時間がたっぷりある時代だったので、のんびりと坂本筋を上がっていった。
やがて備後筋との合流点に到着し、赤い橋をくぐった場所に、立ち木があった。菊元はそのわきに1個だけ持っていたマグナムトーピードを投げた。魚雷という名前の魚雷にしか見えないスイッシャーだ。
ジャッ、ジャッ、ジャッと首を振らせると、ドボォォウンという音と共に、魚雷が消えた。ロッドはフェングラス・ランカースティック2000の2053。あのFC60を短くした1ピースモデルだと思っていい。満月のように曲がったロッドの先には、見たこともない大きさのバスがいた。
菊元「いち大事や。日本記録を釣ってもうたわ!」
ランディングに成功した菊元は、ルアーやらアンパンやらを入れていた衣装ケースをライブウェルにして、バスをスロープまで持ち帰った。スロープにいた釣り人のメジャーを借りて計測すると、53cm、いや54cmだったか。
もちろん日本記録には遠く及ばない。でもこれが彼にとって、人生初の50アップだった。大きなターニングポイントになった1日だった。
重圧に打ち勝つためのジグ修行
フリッピングジグ(スタンレー)
本当はキャスティングジグが欲しかった菊元さんだったが、たまたま店にあったのが、ごついフックのフリッピングジグだった。当時、最も一般的だったラバージグだ。
デビュー戦の優勝後に待ち構えていたのは、次も勝たなきゃあかんという重圧だった。そのために70万円の賞金をすべてはたき、借金までしてボートを買った。そして、冬の間に毎週のように琵琶湖で練習したのだ。
林圭一氏の記事を読んだ彼は、その「ジグンピッグ」という言葉になぜか感銘を受け、なぜかスピニングタックルにスタンレーのフリッピングジグを結び、アンクルジョッシュの11番を装着し、琵琶湖のオダを中心に投げ込んで行った。
ラインはナイロンながら、太めの12lb。ジグのウエイトこそ7/16ozだったが、これ、今でいうパワーフィネスの釣りに酷似している。
菊元「デカいのばっかり釣れましたね。真冬に。ジグンピッグは凄かった。なぜスピニング使ったかは、今もって理由はわからん」
この修業が、後の「ジグ番長」にとっての出発点だった。
必殺の「逆ノッキング」でバスプロになる
シャッドラップSR-9(ラパラ)
逆ノッキングでビッグバスを連発させたのはSR-9のSDカラーだったが、写真はジャパンスペシャルのオイカワカラー。SR-9は当時の琵琶湖でロクマルキラーとしても有名だった。
衝撃のデビュー戦から約1年後の1987年秋、菊元は完璧なプランを持って、試合に臨んだ。まず朝イチはバズベイトで3本のキーパーを釣り、フェニックス「アクションクローラー」を2連結させたロングワームでビッグサイズを1本追加。仕上げがこのシャッドラップSR.9だった。
試したのは知り合いの「ハーサン」に教わった技。SR.9のアイを曲げて、係留されたヨットの下へと送り込み、ボートを移動して、ヨットの真下を引くという技だった。しかもその真下でリトリーブを止め、浮上したシャッドラップを船底にコツンと当てる「逆ノッキング」をやってみると、ランカーが連発!
そんな釣りで菊元は、2日間で12kgと言うウエイトを出した。2日間のうち高かったウエイトの日だけのスコアで勝敗を決めるという変則ルールによって、優勝は逃したものの3位に入賞。
何がターニングポイントかというと、この試合で始めてスポンサーが付いた。名実ともにバスプロになったのだ。
ジャパニーズビッグベイト開発のきっかけ
ACミノー(ACプラグ)
写真は菊元さんが酷使してきた実物で、確かに商品としてのクオリティーは高いとは言えない。このルアーによって、「ビッグベイトはウッドや」という固定観念ができたという。
菊元には狂ったように池原へと通っていた時期がある。サイトフィッシングでロクマルがフィーバーしていた2000年代前半だ。しかし、時を同じくして、ストッカートラウトやACミノーなど、ビッグベイトの凄まじい集魚力も目の当たりにした。徐々にビッグベイトへと傾倒していった菊元は、ACミノーでスーパーランカーを仕留めるようになっていた。
しかし、どうしても許せないことがあった。それはACミノーのクオリティーだ。同じ規格なのに、ウエイトが平気で50gも違ったり、極太もあれば、細いのもある。
釣れる。でも質が悪すぎる。どうしても我慢できない菊元はティンバーフラッシュの開発に着手した。そんなヒット作ティンバーの父親的存在、それがACミノーなのだ。
菊元俊文をスターにした、巨大クランク
【ダイビング・バングオーB 6in(バグリーズ)】
菊元さんの代名詞となった、巨大クランクベイト。この、緑のマッカレルカラーがビッグフィッシュを仕留めた。暴れると怖いので、リップを掴んでランディングしたらしい。
1986年秋、JBTAが琵琶湖で初めて開催したプロトーナメント「大栄通商カップ」。琵琶湖の大会とはいえ、バスボートはたったの3艇。あとはアルミボートや、カヌーでの参加者までいた。
菊元は4馬力のジョンボートでスタートを待っていた。合図が鳴り響くと、全参加者がまさかの一斉にスタート! 山ノ下ワンドの出口は、四方八方から容赦ない引き波が押し寄せて、菊元のジョンボートはもみくちゃになって、転覆しそうになったという。
それでも、命からがら名鉄沖にたどり着いた菊元は、まずDB3マグナムを投げた。狙いはフラッシャーに写った、冷蔵庫のようなディープストラクチャーだ。
菊元「リミット達成やな」
彼は瞬く間に3尾のリミットを揃えた。雑誌に書いてあったヒロ内藤氏の「シンク&スイムチューン」が功を奏したようだ。
移動して、ドゥーナッシングワームで入れ替えを狙ったが、アタリは無し。その後の生涯でも、ドゥーナッシングワームにアタリはナッシングだった。再び名鉄沖に舞い戻った菊元の脳裏には、数日前の居酒屋での光景が蘇っていた。
「お前、次の試合に出たら、これで釣れや」
買ったばかりのダイビングバングオーB6を先輩に見せたら、そう言われたのだ。
菊元「しゃあない、これで釣ったるわ!」
すると、あっさりと54cmのビッグバスが釣れてきたのだ。当時の琵琶湖では、スーパーランカーだ。こうして彼はデビュー戦で優勝した。ダイビングバングオーB6という巨大なクランクで琵琶湖を制したというニュースはバス界を震撼させ、そして菊元俊文の名を全国に轟かせた。雑誌にも載り、釣り場でサインを求められるようになった。
この出来事は、彼の人生を変えたのだ。
菊元「そう考えると、最初っからビッグベイトおじさんでしたわ。当時はおじさんちゃうけど」
11年ぶりの栄冠を手にした目玉ワーム
スーパーライブ・スリム(エバーグリーン)
目玉付きのリアルワームとしては、世界初とされている。発売前の真冬に、吉田秀雄さんと菊元さんで淀川にてテストしたら、いきなりビッグバスが3本釣れて、度肝を抜かれた。
日本が未曽有のバスブームに沸いた1997年、JBがワールドというトップカテゴリーを創設。その初年度のJBワールド第4戦の霞ケ浦で、菊元はあと一歩で年間優勝…というところに差しかかった。
その試合の終盤戦で、選んだルアーがスーパーライブ・スリムのスプリットショットリグ。これを岩とオダの複合ストラクチャーに送り込むと、あろうことか、根がかってしまったのだ。
菊元「また優勝が遠のく…」
と思いきや、菊元は鬼のハングオフを100連発、やっと根がかりが外した。すると、その直後アタリがきてフッキング。ネットで慎重にランディング!
…と思いきや、すくった瞬間に針が外れた。なんと、針先が直角に曲がっていたのだ。その魚がキッカーとなって優勝。JBワールド初年度の年間優勝に大手をかけた。
ウエイインへ急ぐ菊元は、優勝を確信し鳥肌を立てながら叫びまくっていたという。
忘れ得ぬ、琵琶湖の「恩人」との共同作業
デルタフォース(エバーグリーン)
三角錐形状のヘッドが、不動の安定感をもたらし、オリジナルデザインのワイドウィローリーフは、抜群のレスポンスで回転。一世を風靡したスピナーベイトの傑作。
デルタフォースは、国産スピナベとして初めてオリジナルデザインのブレードを搭載した製品だ。そのデルタフォース、菊元が常に「恩人」としてリスペクトする琵琶湖のレジェンド下野正希に実物を渡したら、しばらく経ってからこんな苦言が返ってきた。
下野「菊ちゃん、あのスピナーベイトはあかんぞ」
菊元「ホンマですか? どの辺がですか?」
下野「40アップを30本以上釣ると、アームが折れるやんけ!」
むしろ、30尾釣るまで壊れなかったことがすごいのだが、菊元は答えに窮したようだ。これをきっかけに菊元&下野コンビで「もっと簡単スピナーベイト」という記事をタックルボックス誌に掲載。アシなどに近づき過ぎるより、距離をとって回転レスポンスのいいデルタフォースを投げた方が効率がいいと説き、これが大きな反響を呼んだという。
ジグ番長・菊元俊文をよりメジャーにしたジグ
プロフェッショナルキャスティングジグ(エバーグリーン)
ジグ番長の無敵なコンビ。プロフェッショナルキャスティングジグ1/2oz&キッカーバグ4.5in。かつてはビッグダディー、ホッグヘアー、ブラッシュホグも愛用した。
「ホンガリング」と「ジグ番長」は、どちらも菊元とジグの密接な関係を示すキーワードだが、この2つには時代にズレがある。トーナメント時代から炸裂していた「ホンガリング」は、目には見えない地形変化やストラクチャーを狙って釣る方法だ。
一方の「ジグ番長」は、トーナメントを卒業した2002年以降のニックネーム。活躍の場をメディアに移した菊元は、見えない場所を狙うホンガリングよりも、ガード付きのキャスティングジグに結び換えて、映像でわかりやすい場所を狙うカバー撃ちへとスタイルを意識的にシフトし「ジグ番長」を名乗った。
結果的にこれが、でかバスの量産と、人気の向上につながった。
菊元「俺は、トーナメントを辞めてからの方が知名度上がったと思う。そのきっかけとなったのがこのキャスティングジグ。ジグ番長にしてもらったジグやな」
先行者に惜しみなく、最大限のリスペクトを
ジョインテッドクロー178(ガンクラフト)
発売以来、驚異的なロングセラーとなっている元祖S字系ビッグベイト。菊元さんは「日本のビッグベイトブームの礎となったルアー」と位置付けている。
平岩「これいっぺん使ってみてもらえます?」
平岩孝典はそういって、ルアーを1つ菊元に渡した。それを見て、動かした菊元は、驚愕した。それがジョインテッドクロー178のプロトだったのだ。
実はティンバーフラッシュの開発中に、リップのついていない試作品がS字を描いて泳ぐことは知っていた。でも、それをウッドで製品化するのは簡単ではないと考え、開発を保留していたのだ。しかし、目の前にある美しいルアーは、見事なS字軌道を描いて泳いでいた。ほぼ完成していたのだ。
菊元「うわ、先にやりおったわ!」
正直思った。だが、他メーカーの人間である自分を信頼して見せてくれた平岩には、最大限の礼を尽くし、全面的に協力すると自分に誓った。和歌山でロケがあれば何の見返りも求めずいつも全面協力してくれるガンクラフトの面々へ対し、それが自分ができる誠意だと思ったのだ。
ジョインテッドクローがS字系の本当の元祖であることは、菊元が一番知っている。
ほかの釣りが驚異的に下手になるビッグベイト
バラム300 エバーグリーンスペシャル・エディション(マドネス×EG)
船べりで8の字に動かすエイトトラップで知られるビッグベイトだが、それはあくまでも2次的な使い方に過ぎない。大事なのは騙せる速さで巻くことと、静かなアプローチだ。
まず菊元が最初にバラムを使ったリールはカルカッタコンクエストだった。これだとあまり釣れなかった。次にアンタレスに変えると、釣れるようになった。そしてアンタレスDCMDXGにすると、もっと釣れるようになったという。そう、つまり早く巻けることが大事なのだ。聞くところによるとバラムの開発者であるサタン島田は秒速m以上の速さでバラムを巻くという。
菊元「その釣りをやってると、ジョイクロを止める釣りとか驚異的に下手になりますね。ノーシンカー沈めて待つとか、無理やね」
しかし、ロクマル3本とか、50アップ10本など、ハマれば恐ろしいい釣果が現実となる。その中毒性は釣り人生を変えかねない。
菊元「バラムは凄い。破壊力がある。でも病気にかかったようになりますな」
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