バスロッド温故知新。あの名竿がよみがえる!! スピードスティック・プロジェクト序章



バスフィッシング黎明期、我が国において道具の中心はほとんどが舶来モノだった。しかしその当時すでに、本場アメリカで高い評価を得ていた日本製ロッドがあった。『スピードスティック』。最新のテクノロジーをまとい、2020年、新たな伝説がはじまる。

第1章/スピードスティックとは?

「ブラックバス釣りの楽しみ方」という本を知っているだろうか? 今から40年前、日本のバスフィッシングに多大な影響を与えた書物であり、サーフェスプラッガーのバイブルとも言える名著だ。

その後半部には、著者の推奨するロッドのためにもページを割いており、フィリップソンBC60L、フェンウィックFC-60など、当時のそうそうたる高級ロッドのモノクロ写真が並んでいた。

その中に1本だけ毛色の違うロッドがあった。それがスピードスティック#1-16HOBB。

その本を貪るように読み耽った少年たちにとって、唯一手が届きそうなのが、このロッドだったので、誰もが強烈な印象を受けた。なんとか、お年玉で買えそうな価格だったのだ。

上が天龍の倉庫で発見されたスピードスティックの初期プロト。リールシートはフジグリップ的だが、握りの部分はコルクになっている。

さらにスピードスティックシリーズは、日本で開発、製造されたバスタックルにもかかわらず、本場アメリカで販売されて、高い評価を受けていた。特に「ピストルグリップ」と呼ばれる非常に軽いラバー製のグリップは、急速にアメリカのトーナメントシーンに浸透したとされている。そんな部分が日本人として誇らしく、憧れていた少年も少なくなかったはずだ。

その後、グラファイトのSGシリーズ、平織カーボンのコブラシリーズなども好評を博し、スピードスティックはジャパニーズバスロッドの先駆者として多くのバスアングラーに愛用された。

そんなスピードスティック人気も決して順風満帆ではなかった。87年には一度生産中止に追い込まれ、91年にはリニューアルされて復活。90年代後半は、空前のバスブームが到来したが、タックルが多様化するに連れて、スピードスティックは時代の流れとともに姿を消していった。

第2章/スピードスティックのルーツと復活のきっかけ

『ブラックバス釣りの楽しみ方』で、スピードスティックを知った少年たちが、アラフィフになろうかという2017年。長野県にあるロッドメーカー・天龍の倉庫で、ちょっとした事件が起きた。

倉庫を片付けていた社員の舟木雄一さんが、見慣れないデッドストックを発掘したのだ。その竿の埃をぬぐってみると、ブランクスには“スピードスティック”という印字。ここで、首をかしげるスピードスティックファンがいるかもしれない。そう、スピードスティックはダイコーという別のメーカーが製作、販売していたイメージが強い。ところが、最初のスピードスティックは、実をいうと天龍が製作していたのだ。

スピードスティックの初期モデル、#1-159HO。比較的軟らかめの#1アクションで、5フィート9インチ。文末にはTENRYU JAPANと印字されている。

舟木さんによると、アメリカの釣り具業者であるルー・チルドレ氏がダイコーから日本の竹竿を買い、それをアメリカで売っていたのが物語の出発点らしい。

やがて、ルー氏が本格的にグラスロッドの製作を依頼したところ、当時のダイコーにはまだそのノウハウがなかった。その解決策として、当時からグラスロッドを製造していた天龍に委託した。そんな流れで、スピードスティックは開発されたのだ。

それが1971年の話。時を同じくして、ルー氏は日本の富士工業に依頼して、画期的なグリップを開発。それが前述のピストル型グリップだった。それは日本人の手にもしっくりくるデザインで、金属グリップより圧倒的に軽かったので、日本では「フジグリップ」の愛称で親しまれた。

その後、1973年にダイコーが自社生産を開始するまでは、天龍がスピードスティックを生産。したがって、短期間ではあったが、スピードスティックのルーツが天龍であることは事実なのだ。

ルー・チルドレ氏(左)と、現在は天龍の会長となっている塩澤美芳氏(右)。中央は2人を引き合わせた人物で、彼はダイコーの親会社の幹部であったらしい。

再び時計の針を2017年にまで進めてみよう。天龍の倉庫で発見されたスピードスティックたちは、まさしく初期の製品とプロトモデルだった。ブランクスはグラス素材、そしてグリップはコルクのモデルもあったという。

「僕はスピードスティック世代ではありませんが、名前だけは知っていました。だから、発見した時は凄いと思いましたね。弊社の営業スタッフの中には、少年時代にスピードスティックを使っていた人もいて、店頭で古いスピードスティックを見つけて買い求めたりもしていたんですね。だから、この発見がきっかけとなり『スピードスティックを作ってみる?』みたいな流れになったんです」

これが舟木さんが明かしてくれた、スピードスティック復活のきっかけだ。

発掘されたロッドのフジグリップ。そのリールシートには「フジスピードフィット」のロゴが描かれている。このグリップはルー氏が木を手削りして作った原形を元に富士工業が製作した。
写真が天龍釣具事業部でスピードスティックの開発に携わる舟木雄一さん。幼少期からバス、トラウト、ソルトのルアーフィッシングを楽しんできた万能型ルアーアングラー。ロッドに対する造詣が深く、実戦での経験も開発に生かされている。


第3章/新生スピードスティックのコンセプト

スピードスティックといっても、50年前のロッドをそのまま再現するわけではない。いったいどんなコンセプトのロッドになったのだろう。舟木さんに聞いてみた。

「今回新たに出すということで、コンセプト的には…ジャンルでいうとノンジャンルですね。トップロッドでもないし、トーナメント系でもない。いうなれば“ルアーロッド”。当時はバスでもない、トラウトでもない、ルアーロッドとしてカテゴライズされていたじゃないですか。そういうロッドで行こうという考え方です。硬さや長さなどはいろいろあるんですが、その使い方は、最終的にアングラーに委ねようという考えです。短いならトップに使ってもいいし、長いところならクランクにもいいでしょうし。そういうロッドに仕上げようと思っています」

新生スピードスティックは、バスはもちろん、ナマズなどの他魚種にも柔軟に対処できる懐の深いルアーロッドを目指して開発された。

確かに、現在のバスロッドは極めて細分化されているが、40年、50年前はバス専用のロッド自体が珍しく“ルアーロッド”というカテゴリーだった。もちろん、新生スピードスティックはバスがメインターゲットだが、ライギョやナマズを狙ってもいい。そんな器の広さを身につけている。

舟木さんによると、その最大の特徴はブランクスだ。

「ブランクスの素材は、超低弾性カーボンですね。グラスにかなり近いカーボンなんです。カーボンなので、振ると張りがある。でも、曲げていくと、じわ~っとグラスっぽいテイストで曲がるんです。トン数でいうと10トン台じゃないですかね?」

低弾性カーボンも、頭に超が付くとむしろ斬新な素材だ。ガイドは堅牢なステンレスフレームのKガイド。リングはもちろんSiC。リールシートもPTS。パーツ系を全て富士工業で固めてあるのは、スピードスティックとして当然の選択だろう。そして、グリップ素材はコルクが選ばれている。

「やっぱり、BB1とかアンバサダーなどの古いリールも付けたい。あるいは五十鈴のリールやカルカッタなども似合うロッドにしたかったので」

コルクがロッド全体に風格を与えるので、ヴィンテージテイストの丸形リールともマッチングがいい。もちろん、最新リールとの相性も申し分ない。

丸型もロープロも似合うデザインには、世代を超えた魅力が備わっている。ヘドンのフルサイズトップをはじめ、ジョインテッドクローなど、投げたいルアーも多岐にわたる。

そんな、懐かしいようで新しく、新しいようで懐かしさも感じる新生スピードスティック。まずは今年の秋辺りに5機種がリリースされる予定。ちょっと、湖に立つのが億劫になってきた人であっても、このロッドを持てば、あの日のワクワク感が蘇るに違いない。

上がSS#1-264B。1/4~5/8ozのハードルアーをピンポイントに送り込めるアキュラシー重視のロッド。下がTSS#2-266B。1/2ozをメインとして幅広いウエイトのルアーを使えるロッド。トップやシャロ―クランクを得意とする。

関連記事はこちら!