メガバス伊東由樹の『スピナーベイト理論とVフラットの歴史』スピナーベイトは釣れ続ける普遍の漁具である!?



創業以来、30年以上にわたりルアーフィッシング業界の最先端を走り続けるメガバス。自社製造を行うルアーメーカーとしては国内外有数の歴史を誇り、その蓄積されたノウハウも世界随一。そんなメガバス&アイティオーグループを一代にして築き上げた社長であり、デザイナーであり、アングラーでもある伊東由樹さんに、メガバス製品が釣れる仕組みや理論、名作ルアーの誕生秘話や歴史など、様々なことを語っていただく大型連載です。

【Profile】
伊東由樹
いとうゆき/メガバスを創業し、名作中の名作ルアーをいくつも生み出した天才デザイナー。(財)ジャパングッドデザインアワードでは、200作品を超えるアワード受賞作品をプロデュースするフィッシング/スポーツ用品カテゴリー最多受賞デザイナー。国際的に最も権威と歴史あるIFデザインアワード(ドイツ・ハノーバー)では、日本人初の快挙となる2018-2020年と3年連続受賞デザイナーとして名を馳せる。
漁師町に育つことで体得した「魚を捕る」ことへの深い造詣が融合するアイテムはどれも時代の最先端であり伝統的。もちろん、アングラーとしての腕前も超一流。





メガバスの歩みとスピナーベイト

漁具としてのスピナーベイトが欲しかった

メガバス最古のルアーはスピナーベイトのVフラットである。

つまり、メガバスの歴史は日本のスピナーベイトの歴史でもあるわけだ。

そして今でこそ典型的なバス釣り用ルアーとして浸透しているスピナーベイトだが、日本国内における歴史もまた、メガバスの歴史とともにあるのだ。

伊東「33年前くらいですかね。その頃と言えば、日本のフィールドもまだまだ未開拓の場所が多かった時代です。その頃私がよく行っていたのは印旛沼やカスミ水系でした。つまり一面アシだらけのフィールドです。そこで効率よくバスを探していくために活躍してくれたのがスピナーベイトだったんです」

上向きのシングルフックに高速回転するブレードは、今でもベジテーションエリアの攻略方法として真っ先に思い浮かぶ手段ではあるものの、当時のスピナーベイトには物足りない部分も多かったという。

伊東「日本ではまだ海外のスピナーベイトを輸入していた時代です。実際私もフレック、バスバスティン、ボーマーといったメーカーの物を使っていました。でも当時のスピナーベイトというのはただあの形でさえあれば良いと言うか、細部への作り込みが足りなかった。もっと機能性を突き詰められるのではないかと」

その頃の伊東さんは伝説のロッド「アームズ」を手掛けていたくらいで、ルアーメーカーになることは考えていなかったのだとか。

伊東「はじめは自分が使いたいがために作ったんです。バスを釣るための機能的な漁具として、私自身が納得のできるスピナーベイトが欲しかった。あとは共感してくれる人が使ってくれればいい、みたいな感じですかね。そこでスピナーベイトそのものの成り立ちから考え、より釣果の上がる最適化されたものを模索しました」

漁師町で育った伊東さんは、浜名湖の伝統漁法である弁天流し釣りの舟底オモリやスズキバケといった漁具に幼少の頃から慣れ親しんでおり、魚を獲るためには何が必要かを熟知していた。伊東さん自らが使いたいがために誕生したスピナーベイトには、漁具の血が流れているのだ。

伊東「そうして出来たのがVフラットだったわけなんですが、重要なポイントはヘッドの形状です。当時のスピナーベイトのヘッドはどれも砲弾型で、何の機能性も持たされていませんでした。一方、Vフラットのヘッド部分は左右に張り出し先端に尖り、上側がフラットになり、下側は船のVハルのようにしたんです

つまり、Vフラットという名前は革新的なヘッド形状からとられた名前だったのだ。

伊東この形にすることで、何かにぶつかった時に敢えてバランスを崩しやすいようにしているんです。それでいて、もとの姿勢にも戻りやすい。つまりただ巻いてものにぶつけるだけでナチュラルにリアクション効果を生み出すことができるんですね

今でこそ、各部位に関して総合的に工夫が凝らされたスピナーベイトが出ているが、Vフラットは言わばそんなシステマチックなスピナーベイトのはしりだったのだ。なお、このぶつけた際に瞬間的に姿勢を崩して復元するヒラうちと呼ばれる概念を広めたのもVフラットだ。

人気になるほど首を締めるVフラット

伊東「特に宣伝をしていたわけではないのですが、いつの間にか注文が来るようになってきましたね。当初はサンスイさんやサンライズさん、潮来釣具店さんなんかからよくきていました」

人の口に戸は立てられない。ましては人一倍欲深いアングラーにとって、釣れるルアーの情報というのはあっという間に広まるもの。Vフラットもそのご多分に漏れず、口コミでその存在が広まっていった。

ところが、その当時のメガバスは伊東さんが一人でアームズを削って販売していただけのメーカー。当然、スピナーベイトを量産できる設備があるわけではなかった。

伊東全て手作業で作っていましたね。ピアノ線は全てペンチで曲げて、ヘッド部分はカツオのバケ針を製造する工場の窯を借りて自分で鉛を手流し…。リグ組みもやったり、パッケージもワープロで作りました(笑)。そんな時に、茨城の松屋ボートさんからフィールドテストに出た私がVフラットを使って新利根川で50アップを釣って、スポーツ新聞に写真が掲載されたんです」

その当時は当然、SNSはおろかインターネットもない時代。新聞の影響力ほど強いものは無い時代だった。

伊東「それがきっかけで流行りだしたって感じですね。全国から注文が来るようになって、月に700~1000個はVフラットを寝ないで作っていましたよ。ひたすら作っては出荷して…。ガレージを借りて作っていましたから、ヘッドをコーティングする時に湿度が高い、つまり雨が降っていると塗装がうまく行かないので釣りをしていました。それ以外はずっとVフラットを作っていました」

手作業で月産700個オーバーという事実にも驚かされるが、さらに驚愕すべきはVフラットのレパートリーだ。

伊東シングルコロラド、ビッグウィロー、タンデムコロラドなどのブレードの組み合わせに、ウェイトのレパートリー、そこにヘッドカラーがあって…。しかもショップや釣り場に適したモデルなんてのもありましたから、Vフラットとひとことで言っても700種類くらいあったと記憶しています」

しかも伊東さんは、たとえ地方であっても各ショップの周辺フィールドに自らの足で赴いてVフラットのテストを行い、最適なモデルを指定して出荷していた。ちなみに移動は自家用車で行い車中泊。車内でもVフラットは作り続けていたとか。

伊東「そんなことをしていたものですから、周りから他のメーカーとは違うなと。メガバスは違うなと言われるようになりました。このワードは現在も広告にずっと入ってるんですよ」

メガバスがメガバスたる根拠とも言うべきか。

メガバスは違う。

この言葉は、創業当時から変わることのない、強い思いを貫き通している証なのだ。

伊東「その頃はまだまだアメリカのバスフィッシングの知識をそのまま流用するのが一般的でしたからね。メガバスはそのアンチテーゼでありたいというか(笑)。私からの提案で皆さんに釣ってもらえればなと思っていたんです。日本的なバス釣りの知恵を世界へと発信したいなと」

そんな伊東さんのアツい思いに賛同する人たちが次々に集まっていき、メガバスは徐々に大きな会社へと変わっていく。

伊東「Vフラットの注文に来て、そのまま社員になった人もいます(笑)。故人ですが、楠ノ瀬直樹さんが初代の契約プロにもなってくれていましたよ」

業界が頼ったスピナーベイトのノウハウ

同じ頃、全国規模となったVフラットの活躍により、多くのフィードバックがあったという。

そして注文数もいよいよ手作業での限界が近づきつつあった。

伊東「環境や魚が変わるのであれば、漁具たりうるためにもアップデートは続ける必要があります。また、メーカーらしい数を生産する必要も出てきました。そこでVフラットのリニューアルとそれに合わせて浜松に工場を作ったんです。小さな工房からファクトリーとしてやっていくことに腹をくくったわけです。Vフラットがそうさせたんですね」

またこの頃からはプラグの制作も開始していたが、スピナーベイトのOEMも多かったのだという。

伊東「他にスピナーベイトを作れる所がありませんでしたからね。それにメガバスにはVフラットで培ったノウハウがあったわけです。言わばスピナベのコンサルタントですね。名前は言えませんが、結構有名なところのものも作っていましたよ

こうしてメガバスはいくつものスピナーベイトを制作するようになった。

2020年現在、これまでに生産されたメガバスファクトリー製の有名メーカーのスピナーベイトだけでも10種類以上存在しているのだ。