アングラーと魚をつなぐ釣り糸は、水辺の趣味を楽しむ人の生命線。魚の鼓動を通じてこそ理解できる自然がある……。YGKはそう心に刻みながら、確かなモノづくりに日々邁進しています。そして私たちと同じようにフィールドや魚、釣り人、あるいは釣りそのものと深く関わり、熱い想いを込めて仕事や活動に取り組んでいる。そんなプロフェッショナルたちがいます。
●写真:細田亮介 文:前川 崇
「国産」のキングサーモンが出る店
かつて大阪が天下の台所と呼ばれていた頃、それを象徴していたのが天満市場である。今も多くの店が軒を連ね、日本一長くて有名な天神橋筋商店街とあわせて歴史を刻み続けている。
昭和で時間が止まってしまったかのような店舗とリノベーションした店が混在し、濃厚な下町感が漂うそんな町の一角に辰巳良輔さんの店はある。
【Profile】
辰巳良輔(たつみ・りょうすけ)
1975年生まれ。2016年『手料理たつみ』を開店。自らがおいしいと思う品を客に提供する。趣味はスキューバダイビング。
辰巳「こないだは国産のマスノスケ、10kgくらいのキングサーモンが入ったんですけど、それを食べたいと来られたお客さんが結構いましたね。そんなん、普通は獲れないですから。
珍しい魚を見つけたらとりあえず押さえてもらっています。ミツカドホンヤドカリがあると聞いたときは飛びつきましたね(笑)。似たような魚で全然違うのもありますよ。獲れた産地の人も気付かない。コショウダイなんですけどエラブタを開けたら真っ赤なやつがいてるんです。エリアカコショウダイっていうんですけど、これがめちゃくちゃうまい」
釣りのプロ達を魅了する「肴」
おいしい魚を食べさせてくれることが口コミやSNSで広まり、徐々にリピーターを増やしてきたが、ここで提供される魚は一般的には流通しない種類も多い。しかし、今ではそれを目当てに足繁く来店する人もいる。
たとえば珍しい魚と出合う機会の少なくない、釣りのプロと呼ばれるような人たちも常連だが、それでも名前を聞いて魚の姿をイメージできないケースがしばしば。だからこそ、というべきだろうか。未知の魚への興味を“肴”に店でのひとときを愉しんでいる。
辰巳「今年(2020年)で5年目になります。水族館の元館長さんも来られるんですが、飲みながらこの魚はこうやねん、全部育てたけど全部食べてないからメニューの上から食べていくわ、と(笑)。みなさんは魚メインで来てくれますけど、本当は魚専門というわけじゃないです。自分が食べたいもの、飲みたいものを置くセレクトショップみたいなものですね」
学生時代から調理法を試行錯誤
大阪市北区で生まれ育った辰巳さんは、居酒屋を営む父親の影響を受けて幼い頃から料理に興味を抱く。釣り好きでもあった父親と一緒に竿を出していたこともあり、魚に対する関心も早くから培われていった。
辰巳「生まれも育ちも北区。実家は30年以上やっています。跡を継ごうと思ったことはないですけど、小さな頃から料理は好きでした。魚をおろすのも親父を見とったからね。実家はもちろんですけど魚屋さんや八百屋さんでも勤めさせてもらったり、いろんなところで教えてもらいました。助けてくれる先輩もいましたし」
料理の世界で才能が成功の鍵となるのは動かしがたい事実だろう。少なくともスタート地点に並ぶには、音楽家にとっての絶対音感のように優れた味覚が不可欠のはずだ。「食は三代」という言葉もある。努力だけではどうにもならない部分だが、辰巳さんは才能に恵まれた。
熟成肉ならぬ、熟成魚という概念
一方で才能がすべてではないこともまた事実。スタートした後に加速できるか、途中で失速するかは、本人の“根っこ”の部分が関わってくるのかもしれない。
辰巳「食べるのはやっぱり好きですね。それで学生の頃からとにかく家でやってみようと。魚はどうすれば熟成するのか、とか試行錯誤でしたね。熟成魚はまだ一般的ではなかったですけど、肉なんて出荷するまでに1~2週間寝かせるから、僕にとっては出荷される時点で熟成肉なんですよ。それなら魚もいけるんちゃうかと。ぼんやりと頭にあった程度ですけどね」
そうして探求を続けていくうちに気付いたことがある。本当に100%新しい料理はあり得ない。だから料理はいかに“盗む”かだと。
辰巳「新しい調理器具で作ったものなら確かに新しいですけど、それ以外は組み合わせ。どんな有名店でも盗み、盗まれだと思いますよ。明治、大正の時代にはもう出来上がっていたはずですからね」
信頼関係が生んだメニュー
辰巳さんの才能と探究心は、新たな出会いをもたらすことになる。
辰巳「お世話になっていた魚屋さんが廃業されるときに今の社長を紹介していただいて、それから10年くらいのお付き合いになるんかな。僕らみたいな店は必ず信頼できる魚屋さんがついている。彼との二人三脚がないとできません」
その人が魚利水産株式会社の土井池信彦さんだった。現在、魚の仕入れにおいて絶大な信頼を置いており、この人がいなければ店を開けなかった、とまで辰巳さんは言い切る。
土井池さんの周囲には、よりおいしい魚を届けるための方法を模索するグループがある。仕事にプライドを持ち、こだわりを持つ顔ぶれが自然発生的に集まった。
辰巳「6、7人の仲間なんですよ。神経締めとかも昔からやっていて、NHKの番組に出たり、業界の人が聞いたら絶対に知ってるようなメンバーもいます。魚の締め方や血の抜き方はみんな違うから、こっちはこのやり方がええんとちがうか、と話し合ったり。魚の種類によっても締め方はまったく違うんでね」
適切な処置と最高の魚
そんな土井池さんが選び、持ってきてくれる魚だから「彼が扱うものでないと僕はいらない」と辰巳さん。
辰巳「それは信用、こだわりです。何かあったら彼に電話しますけど、『いや、それはオレじゃない。産地で締めた魚や』って(笑)」
逆に土井池さんにとっても辰巳さんは理想的な取引相手だった。ただ魚を買い付けて卸すのではない。適切な処置を施した最高の魚を届けるからには、その価値を分かってくれる店でなければと考える。
土井池「自分らが食べて気付いたことに気付いてもらえたらうれしいんです。僕が卸すのはそういった違いが分かるお店。もしくは説明したら分かってくれるお店。やっぱり辰巳さんも舌が肥えてるんですよ。食べたら分かるタイプなんで、感想は教えてもらってます。僕らにとって、あかんときにあかんと言ってもらえないのは逆に辛いですね」
仕事を“遊ぶ”ことで生まれた縁
辰巳さんと土井池さんの間に強固な信頼関係があるからこそ、辰巳さんいわく“遊ばせて”もらえるし、客の期待にも応えることができる。
「辰巳さんやったら何とかしてくれるやろ」と土井池さんが見慣れない魚をサプライズで入れることがあるのも、新たな発見を期待してのことだ。現地の目利きですら目もくれない、あるいは知らない、そんな魚にも土井池さんと繋がりのある知り合いがアンテナを張り巡らせてくれている。だからこそ、この店には珍しい魚が並ぶことになる。
ヒレジロマンザイウオのヤンニョムジャン漬け
そんなふたりの掛け合いが生み出した料理の例をあげると、「カラスガレイのきずし」「ハコエビのコロッケ」「マンタのボロネーゼ」「ヒレジロマンザイウオのヤンニョムジャン漬け」など、数え上げればきりがない。冒頭のミツカドホンヤドカリはコンスタントに仕入れるうちに市場のセリにかけられるようになったのだとか。
辰巳「これ何なん!? てこともありますよ。イサゴビクニンのときはひどかった。まな板の上に置くとポチョン、って音がするんですよ。揚げる、焼く、煮る、順番にやって合うのを探すんですが、揚げても焼いてもダメ。煮ていた鍋のフタを開けるとドロドロで身がなくなっていて……二度と買いません。でも、肝だけはうまかったんですよ」
ドライな気持ちで仕事に徹するなら、ここまでやる必要はないのかもしれない。仕事に遊びの要素を持ち込まないというスタンスもあるだろう。しかし、辰巳さんの“真剣な遊び”はお客さんとの縁につながってゆく。
「釣り人」との縁
辰巳「テレビの釣り番組のプロデューサーさんが、たまたまうちの前を通ったんですよ。まだ実家の店でいた頃です。僕がメニューを看板に書いていて、その内容があまりにもブッ飛んでいたので入ってくれたんですが、それがきっかけで来てくださるようになりました。しばらくして『事務所を移転するからしばらく来られなくなるかも』という話があって、『どこ行くんですか』と聞いたら『天満です』と。その後、僕が独立して構えた店舗が偶然にもここ天満だったんです。事務所のすぐ近くでした(笑)」
そして番組の関係者である釣り具メーカー社員や出演者たちも足を運ぶようになってゆく。横の繋がりで釣り人が釣り人を呼び、有名なバスプロやソルトルアーのプロアングラー、女性アングラーもよく訪れるようになった。
辰巳「店で出す魚にみなさん驚かれますし、逆にこういう魚もいるよ、と教えられたり。そんな話でいつも盛り上がってますね」
“永遠の子供”だから突き進める
店を開けるのは夕方の5時半。11時に自宅を出てそれからずっとノンストップで仕込みを続ける。
辰巳「これだけ品数があったらね、突っ走るしかない(笑)。上がりは午前1時、2時ですかね。しんどい? それはどんな仕事でも同じちゃいますか」 席はカウンターが中心なので、店主との会話を求めて訪れる客もいる。
辰巳「一人で来られるお客さんは話がしたい、っていうのもあると思うんですよ。特にうちなんかだと変わった魚についてだとか、どういう風に締めているのか、とか。しゃべるのは苦手と思ったことはないですね。何も考えずにしゃべってるから(笑)。ひとつもしゃべらない料理人もいますよ。せやからトップになって店を開いてやる方もいらっしゃれば、2番手で裏方で光る方もいらっしゃるし。いろいろですね」
料理人に必要な資質とは何か。そうたずねると、しばらく考え込んだ後にこう答えた。
辰巳「……僕の勝手な考えですがアイデンティティじゃないですか。これは人がやらないだろう、ということを追求してます。それはほかの料理人には必要なものじゃないですよ、僕にとってです。
たとえばきずしを作る。昔の古典的な作り方でいうと、サバにぶぁーっとベタ塩をして半日、1日かけて抜く人もいらっしゃいますが、僕はまず砂糖。これはケミカルな話なんですけど、砂糖と塩で分子の大きさが違って、分子の大きい砂糖を先に打てば脱水力が上がるんですよ。それから塩を打つ。すると1、2時間程度で抜けます。これはたぶん普通の和食屋さんではしないと思います。洋食の技術なんですよ」
店が休みの日にも辰巳さんは仕込みのため厨房に立つことが少なくないという。料理は「盗むしかない」ことが分かっていながらも、何か新しいものを生み出そうとつい包丁を手にする。
仕事中毒、そう言われても仕方がない。これが辰巳さんのアイデンティティなのだから。それは魚を通じて知り合った、釣りを生業にする人たちと通じる部分でもある。
辰巳「言い方は極端かもしれませんけど、みなさん子供が大人になった感じですよね。仕事でも自由にやりたいことをやっている。常識にとらわれず突き進んでますね。似てる? そうやと思いますよ。僕も永遠の子供と言われてますから(笑)」