アングラーと魚をつなぐ釣り糸は、水辺の趣味を楽しむ人の生命線。魚の鼓動を通じてこそ理解できる自然がある……。YGKはそう心に刻みながら、確かなもの作りに日々邁進しています。そして私たちと同じようにフィールドや魚、釣り人、あるいは釣りそのものと深く関わり、熱い想いを込めて仕事や活動に取り組んでいる。そんなプロフェッショナルたちがいます。
●写真:細田亮介 文:前川 崇
【Profile】
向畑大志(むこうばた・たいし)
1976年生まれ。和歌山県那智勝浦町浦神出身。海に限りなく近い環境で育ち、物心つく前から魚釣りを覚える。かつて熱心だった磯のグレ釣りでは全国クラスの腕前。現在は遊漁船「たいし丸」 船長を務める。
浦神生まれ、浦神育ち
JR紀勢本線の紀伊浦神駅を降りると、周囲は民家以外に何もなかった。
そこは住み込みのアルバイト先の最寄り駅。着いたその日はまかないの夕食が用意できないというので紹介された近所の喫茶店で食事をとっていると、「ちょっとごめんよ」とマスターが店内の模様替えを始める。しばらくすると地元の人が集うカラオケスナックに早変わりしていた。
それは書き手の30年近く前の記憶。ひさしぶりに訪れた印象はほとんど当時のままだった。
和歌山県南部に位置する浦神は、細長い小さな湾に面した町だ。すぐ北にはクジラで有名な太地町があり、南へ車を走らせると本州最南端の潮岬を擁する串本町が控えていることもあり、その名を知る人は多くない。
向畑「ここは昔と変わってないかもしれない。同級生はほぼおらんですが、浦神を出たいとはまったく思わないですね」
向畑大志さんは、そんな土地で生まれ育った。
向畑「釣りは保育園のときからずっとです。親父は漁協の職員で、お爺さんが半分漁師やったかな。海には関わっていた感じですね。グレ(メジナ)釣りは小学校くらいからですね。浦神に渡船屋さんがあるんですけど、お客さんと一緒に乗せてもらったり、それが始まりですね」
自宅近くの堤防から磯渡しの渡船が発着していた。帰港した釣り客が余った時間で竿を出していることもあり、そんな人たちと仲良くなった向畑少年はウキフカセ釣りを教わり腕を上げてゆく。中学卒業後には就職して磯釣りのクラブにも入り、時間があれば磯に立って竿を振るようになった。
向畑「本格的にあっちこっちへ行きだして大会にも出るようになりました。大きな大会でええとこまでいってたので、その関係もあって釣り具メーカーのテスターになりました」
海と関わり続けるための決断
しかし、しばらくすると向畑さんは釣り人の「名誉職」つまり釣り具の開発サポートやプロモーションに携わるテスターの活動を休止してしまう。
それは事実上、そのポジションを手放してしまったに等しい。ちょうどこの時期に結婚して、それまでと同じようなペースで釣りに行けなくなったこともあるが、人間関係のわずらわしさが嫌だったという。
とはいっても、メーカーや他のテスターとの関係が悪化したというわけではない。自他ともに認めるように、穏やかで当たり障りのない性格。飄々としてトラブルとは無縁に見えるから周囲は驚いたことだろう。
向畑さんの本音は、ただ普通に釣りがしたかった。それだけ。
テスターになることが目標の釣り人が聞けば拍子抜けしてしまいそうだが「海が好きで釣りが好きなひとり」の立場としては、決して軽い理由ではなかったのかもしれない。実際そのスタンスは、自己主張とまったく無縁の向畑さんが貫く唯一のものだといえる。
いち釣り人に戻った向畑さんだったが、いくつかの出来事が重なり、海と関わる仕事に就くことを真剣に考えるようになってゆく。それはテスターのようにパートタイムではなく、会社を辞めてフルタイムで釣りに関わるプロとして独り立ちすることだった。
向畑「建設業で20年くらいやってたんですけど、ずっと雇われてるのも嫌やな、と思っていたんです。もともと自分で何かやりたかった。漁師をやりたかったし、遊漁船もおもしろそうやなと。(特定の)これがやりたい、というよりも海に関わることですね」
ただ、いくら地元とはいえ専業漁師でやってゆくにはハードルが高い。
向畑「それで遊漁船で働いたんです。3年やったかな、まぁ修行ですね。そこでお客さんを乗せる練習をしました。それから独立ですね。船は修行しつつ探していましたが、なんかうまい具合にきっかけがあってね、手に入った」
一度は休止した関係だが……
とはいえ、すべてが順風満帆とはいかない。子供もまだ小さかった。
向畑「最初はだいぶ反対された。いちばんの試練やったかもしれないですね。借金せなあかんし、収入はあるんかと。会社員で保険もちゃんとある方が……。説得するのに時間がかかったというわけではないですが、最終的には納得してくれて今は喜んでくれてますけど(笑)」
そして、たいし丸を立ち上げ念願の独り立ちを果たしたのが2014年。
向畑「最初の頃はポイントを探しにしょちゅう沖へ行ってましたよ。自分でずーっと釣りに行ってました。あっちこっちの遊漁船にも乗りに行きましたよ。そこの船長さんとも仲良くなって、向こうも遊びに来てくれたことがあります。
当時はアカムツの中深海ジギングがめちゃくちゃ人気がありましたが、やっぱり最初はなかなか人が集まらなかったですね。でもグレ釣りをやっていた関係でメーカーさんとのつながりがあって、それで割とみなさん来てくれて宣伝してくれたんですよ。それから広まっていきましたね」
1度は釣り具メーカーとの関係を止めた向畑さんだったが、今の方が逆に付き合いは増えたという。以前よりいい感じでやれているのは「本来の自分のペース」を保てるから。だから楽しい、と。
むしろ遊漁船を始めてもっとも厳しかったのは、集客よりも新型コロナウイルスの影響だ。お客さんは来ることができず、漁に出ても飲食店が閉まってるので魚も売れないという二重苦。しかし、それも何とか乗り切った。
浅場の根魚からキハダまで
船長の毎日のルーティンは、釣りものによって前後はするが朝の4時半に起床。遊漁や本当の漁のいずれかで沖へ出て夕方には港に戻る。その繰り返し。港から自宅まではほんのわずかな距離だ。
1年のスケジュールとしては、年明けから深海のアコウダイかトンボ(ビンナガ)のジギングでスタートし、5月から6月にかけては浅場のジギングでイサキを狙う。夏にはキハダのキャスティングが盛期を迎え、秋はなんでも釣れるハイシーズン。
陸(おか)と呼んでいる水深100mまでのポイントや中深海のジギングは年中おこなっているが、そこでは根魚を釣ったり青物を釣ったりと、どちらかといえば特定魚種を狙うというより五目狙いになる。
向畑「1年間のローテーションが固まってきた感じですね。トンボなんかは、ここ2、3年で流行ってきました。イサギは産卵時期になったら浅いところで小魚を追いかけるというので、『それならジグで釣れるやろ』と。実は狙って釣れる魚ですね。結構どう猛なんですよ。それは船長になってから分かったことですね。まさかルアーで釣るとは思わなかった(笑)」
そしてお客さんがいないときは、ひとりで漁に出る。漁は地元の先輩漁師に教えてもらったが、自らの試行錯誤も欠かせない。だが向畑さんにとって、それは楽しみな作業でもある。お客さんに釣らせる立場ではなくプレイヤーのひとりに戻れる時間だからだろうか。
向畑「どっちかというと、漁にばっかり行きたいくらい(笑)。おもしろすぎて、ちょっとでも時間があったら沖へ行きたい。狙いはキハダ、トンボがメインですね。アコウダイやイカは遊びみたいなもんです。夕方ちょっとしか時間のないときはイカ釣りに行こか、とか」
船長以外はようやらん
当たり前のように海がある環境で、当たり前のように竿を握り、なるべくして遊漁船の船長になった。向畑さんを見ていると、そう思わずにはいられない。
向畑「釣りを知らん初心者さんとかも多いから、そんな人に教えるのがおもしろい。大変な部分はありますけど、それを大変と思ったことはないですね」
向畑「釣れやんときが辛いけど、お客さん的にはあまり気にしてないみたいです。でも、それが続くとやっぱり辛いですね。基本、天気以外の理由では断らないようにしてるんですけど『釣れやんけど大丈夫?』とは聞きます。
でも、それだけに釣らせるやりがいはありますよ。マグロなんかを初めて釣られると、結構みなさん感動するんで、船の上で喜びが伝わってくるじゃないですか。『全部道具を揃えてきました』という方も多いですしね。初チャレンジの人は結構います」
『天職ですか?』と聞くと、
向畑「ほんまに。もうこれ以外はようやらん」
と笑顔で返事が返ってきた。多少の苦労や求められる努力があったとしても、故郷の海風が忘れさせてくれるのだろうか。ちなみに、たいし丸のレコードフィッシュはキハダの56kg。自らが漁で釣り上げたものでは67kgだという。
行ける限りは海の上に
船長として必要なスキルは何なのか。最後に向畑さんに訊いてみた。
向畑「本当に好きなことでしょうね。接客は自分で言うのも何やけど、こんな性格なんで大丈夫でした(笑)。でも、やめる人はすぐやめてしまいますね。合わんのか好きじゃないのか(苦笑)」
いつか新船を造ることが向畑さんの目標だ。それは家を建てるのと同じかそれ以上の大きな費用がかかる買い物だけに、いっそう仕事に励む必要はあるが、それが向畑さんを海に向かわせるモチベーションというわけではない。
向畑「海は毎日違いますよ。全然飽きない。それが原動力です。お客さんが半日でも昼からは自分で漁に行ったりね。行ける限りは海の上にいたい」
長い間ほとんど何も変わらない浦神だったが、まもなく日本初の民間小型ロケット発射場ができる。かつて向畑さんが通った小学校はその見学場になるという。
いつか湾を挟んだ対岸の山から発射されるロケットを眺めることが当たり前の光景になったとしても、きっと向畑さんはいつもと同じようにお客さんを乗せ、沖に船を浮かべているのだろう。