『芸能界No.1釣り好き芸人』が語る釣りがもたらした忘れられない「出会い」と「思い出」とは

アングラーと魚をつなぐ釣り糸は、水辺の趣味を楽しむ人の生命線。魚の鼓動を通じてこそ理解できる自然がある……。YGKはそう心に刻みながら、確かなもの作りに日々邁進しています。そして私たちと同じようにフィールドや魚、釣り人、あるいは釣りそのものと深く関わり、熱い想いを込めて仕事や活動に取り組んでいる。そんなプロフェッショナル達をご紹介。

●文:ルアマガプラス編集部

田村亮(たむら・りょう)
1972年生まれ。大阪府高槻市出身。1993年に田村淳さんとロンドンブーツ1号2号を結成し、テレビ番組などで活躍。最近は釣り上げた魚をさばいて干物にすることに凝っている。 [写真タップで拡大]

「小学生の頃から、当たり前のように釣りをやっていました!」

――今日の釣りは厳しかったですね。でもラスト1投でまさかのキビレ。ドラマが起こりました。

「びっくりしました、釣れないことに(笑)。知ってるポイントやったから『これはおかしいぞ』と。潮もめっちゃ当たってたし、初めての経験でしたね」

今回は東京湾で釣りを楽しみながらのインタビュー取材!でしたが…想像以上のタフコンディション。しかしラスト1投でグッドコンディションのキビレをキャッチした亮さん。 [写真タップで拡大]

――亮さん、お生まれは大阪ですよね。

「高槻です。19歳で上京するまでいました」

――当時から釣りはなされてたんですか。
 
「近くに淀川と芥川が流れていましたし、あと野池もいっぱいあったので、小学生の頃からザリガニ釣りなどは当たり前のようにやっていましたね。

親父も釣りが好きでしたし、オカンの実家が漁師さんでした。親父の実家もオカンの実家も長崎なんですよ。有明町というところです。なので帰省したときに(漁に行く)船に乗ったりもしていました。

子供やから、単純に興味あるじゃないですか。田舎に行って自然と覚えたというか…。親父の実家は農家なので牛もいましたし、そんなのが楽しかった。高槻もそんな都会ではなかったですけど、田舎でもないので牛はいなかった(笑)」

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「釣りは何でもやってました。コイの吸い込み釣りに行ったり、バスも。バスロッドで吸い込み仕掛けを投げたりとか、こだわっている感じではなかったですね。

中学生や高校生ではルアーもそんなに何種類も持てないですし。バイクや車も好きでしたから、高校生のときは少し釣りから離れてましたね」

――柔道もなされていましたよね。黒帯だとか?

 「高校の柔道部でやっていたら、だいたい黒帯は取れるんですよ。二段にいくのが難しい。二段なら『頑張った人やな』と。僕は初段止まりですが」

「シーバスが近くで釣れることに驚きました!」

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――そして19歳でお笑い芸人になった。

「『なろうとして』上京しました。上京してから釣りはしてなかったですが、4年後、23、24歳くらいのときかな。時間が空いたときにペナルティのワッキーと多摩川へコイ釣りに行ったんですよ。やっぱり、釣りは楽しかった」

――釣りの好きな芸人さんは多いのですか。

「千原せいじさんや宮川大輔さんも好きですね。だけど僕らの世代というか、FUJIWARAの原西さんやナイナイ岡村さんも好きですが、この世代って釣りキチ三平とかでブームがしっかりあったんですよね」

亮さんにFUJIWARA原西さん、ナイナイ岡村さんの3名で立ち上げた釣りYouTubeチャンネル「原西フィッシング倶楽部」もチェック!

「……それで大阪から昔のタックルを持って来て霞ヶ浦(茨城県)に何回か行ったんですよ。ただ、なかなか行けないので何か別の釣りはないかと釣具店へ行ったんですが、そこの店員さんがレッド中村(中村祐介)さんだったんですよ」

――まさかの出会いですね。

「近くで簡単にシーバスが釣れることに驚いて、やってみようかなと。それからですね。20代後半、いやもっと早いかな? ……今、当時付き合っていた女の子を思い出しました」

――(笑)

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「自分が車を持っていないときに『釣りに行く!』と彼女に運転してもらって、『ちょっと待っといて』と埠頭で2時間くらい(笑)。だから25歳くらいですね。ということは25年くらいシーバスをやってることになります。当時はレッドさんも雑誌にちょっと出てるくらいでしたね」

――亮さんはもうテレビに出ていましたよね。普通に釣具店に行ったりするものなんですか。

「ガサ入れ(あなあきロンドンブーツ/1996~1997年、テレビ朝日)の頃ですね。普通に釣具店は行ってました。初めて釣ったシーバスの写真をお願いしてお店に貼ってもらったり(笑)」

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「東京湾シーバスの草創期にいたのかもしれない」

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――それからはコンスタントに釣りに行くようになったのですか。

「そうですね。ずっとシーバスは行ってますね。はじめはオカッパリだったんですけど、当時フローターで東京湾のシーバスを狙っているグループがあることを知って、何度かご一緒させてもらいました。

自分たちの中でルールを決めていて必ずバディを組むとか、そうやっていたんですけど冷静に考えたら危険だと(笑)。それでメンバーの中にボートを持っておられる方がいたので、徐々にボートシーバスに移っていきました。当時はバースに行けば1キャスト3バイトくらいだったんで。多分ですけど、僕は東京湾のシーバスの草創期にいたのかもしれないですね。

当時開催されたシーバスの大会に出たときのことなんですが、僕と知り合いの何人かで出て、そのうちのひとりが3位だったんですよ。3尾の合計サイズで競うのですが、僕は2尾しか釣れなくて、3位になった知り合いは4尾。30艇くらい出たうちの20艇くらいがオデコ。僕らはいいガイドさんに当たったから釣れたんですが…そのときの1位は村岡昌憲さんが操縦した船で釣りをした大野ゆうきさんだったんです。

『よくそれだけの魚を揃えましたね、何尾くらい釣りました?』と聞いたら、70数尾釣ったと。…そのときからレベルが違いましたね。だから知り合った人たちの縁でいい経験をさせてもらってたんです」

――釣り関係のメディアに出られる前からプロアングラーのみなさんとつながりがあったんですね。

「でもレッドさんはプロと思ってなかったです。ただの店員さんだと(笑)」

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――2007年には日本釣用品工業会のクール・アングラーズ・アワードを受賞されましたが、当時はまだ釣り番組には関わっていない頃ですね。

「そうですね。自分が選ばれた理由としては、メーカーの方と船で一緒になったり、そういったつながりの中での受賞だったような気がします。

その後、2012年に釣りビジョンの番組が始まった理由ははっきり覚えています。スカパー!が無料の24時間放送をやるときに釣りビジョンのチャンネル紹介を担当することになったんですが、上京して生活できるようになって最初に契約したのが釣りビジョンで、どうにかしたらお金を払ってるくらいなのに(笑)、ずっと出たいと言ってるのに番組に出たこともない。

『せめて1回くらい番組に出してから担当させてくれ!』というようなやり取りを、極楽とんぼの加藤浩次さんや小倉智昭さんとしていたら特番が決まったんですよ。その後レギュラーでやらせてもらえるようになりました(笑)」

「お笑いも釣りも、ずっと一線でやってきた人は個性的」

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――釣りの番組を持つことになって、いろんな釣種に接する機会が増えたと思いますが、釣りへの認識や見方が変わった部分はありますか。

「やってみておもしろかったとか、奥深さに気付くことはたくさんありました。一方でおもしろいけど自分にはできないな、という部分もありましたね。

ヘラブナ釣りとか磯のグレ釣りとか友釣りとかは、ひとつに集中しないと行けないでしょうし、これ以上手を広げたら道具やスケジュール的に無理だと。ルアーの場合は勝負が早いしダメならすぐにやめられますからね」

――共演したアングラーで印象に残っている方はいますか。

「“濃い”人はいっぱいいますね(笑)。村田基さんはやっぱり印象が強いですし、『ミラクルジムだ! おおーっ!!』ってなりますよね。あと松田稔さん。一緒にロケをしたことはないんですけど、フィッシングショーでお話させてもらったときに『濃いなー』って思いましたね。

どこの業界もですけど古い人の方がクセは強い。それを僕らはちょっとだけ体感できたりするところもありますね。それこそ、おぼん・こぼん師匠、のりお・よしお師匠、ぼんちおさむ師匠とか、ずっと一線でやってきはった方って濃いです。個性的。我が道を進んだからこそ、足跡ができたんやろうなという感じはします」

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――芸能界におられる亮さんから見てもアングラーの個性は強いですか。

「強いですよー。田辺哲男さんも独特な空気がありますし、あと高橋哲也さんとか」

「クマと遭遇した知床のロケは、忘れられない」

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――印象に残ってるロケはありますか。

「『釣りごろつられごろ(1977年~、テレビ新広島)』ですね。『東京都から来た、田村亮さん』みたいな感じで1回出てます(笑)。自分が小学校のときに朝見てた番組に出られるっていうのは、うれしかったですね」

――ロケでのトラブルや辛かったことは?

「楽しかった記憶の方が多いですが、知床のカラフトマス釣りはいちばん印象的でしたね。半島先端の浜に渡してもらえる船があるんですけど、もともと浜にある小屋に泊まる予定だったんですよ。でも『今年はクマが多いからやめよう』となって、朝4時に浜に渡ったんですが、そのとき小屋のドアが開いていたんです。

金髪でガタイのいい船長さんが先に下りて、でっかい石を小屋にバンバンぶつけるんですよ。その異常な光景が忘れられなくて(笑)。クマはいなくて大丈夫だということでロケを始めたんですけど、前日も前々日も何頭もいたらしいんです。

船で待つ人、浜で釣りをする人が2人、その後ろで見張る人を配置して、無事に魚が釣れて、次にメスが釣れたらそのイクラを取ろうか、なんて言ってたら、船長が『逃げろー!!』と」

 『タックルどうしたらいいんですか?』

 『とにかく逃げろー!!』

 それからクマが来て、浜に小さな川があるんですけど、そこに上がってくるカラフトマスをバーンって取ってガーッと食べてるんです……。ヒグマウォッチングと意味が違いますからね。同じ魚の取り合いなんで(笑)。カラスがずっとつきまとっていて、それも記憶に残っていますね」

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「札幌の大学生も釣りに来ていて、『いいねー、地元にこんな釣り場があって。何時間かかったの?』と聞いたら『8時間です』と。冷静に考えたら僕は東京から6時間半なんですよ(笑)。

 いろんな意味でめちゃめちゃ印象的でした。怖いとか、楽しいとか、いろんな思いが混ざって忘れられない。海外で釣ってるようでした」

「子供にとって釣りが、遊びの選択肢のひとつとして存在してほしい」

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――今日、釣りをなさる前の雑談で、亮さんが立ち入り禁止の釣り場が増えることについて嘆いておられたのが印象的でした。

「もっといろんな人に釣りを知ってほしいから、いちばん簡単なのは海の防波堤や港からの釣りなんですけど、そういった場所が釣り禁止になっていくと釣りに接するチャンスが減ってしまいます。

一方でゴミ問題や、そこで仕事をされている方が絡んだ仕掛けでケガをされたりしたので禁止になったと思うけど、なんか悲しい気持ちになってしまいます。

 釣り人はゴミを出さないじゃなく、持って帰るくらいの人が増えればなぁ、と。自分もそうするようにしてるし、ゴミを出さないのは当たり前で拾って帰るくらいにしとかないと、もっと禁止エリアが増えてしまうんじゃないかと思います」

――シーバスを始められた25年前と比較しても増えていますか。

「目に見えて増えていますね。ソーラス条約もあるんですけど、それ以外の場所もなんでね。全部規制がかかってしまう前に、釣り人はもっと気を付けた方がいいんじゃないかなと思います。

僕はランニングで釣り場の近くを走ったりするんですが、釣りをされない方が怖い目に遭ったら(苦情を)言ってしまう気持ちも分かります。何か考えないと本当に……僕は釣り場が狭くなっていることを知っているから、感じているから、ですね」

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――最後に、これからメディアで発信していきたいことと、ひとりのアングラーとして実現したいことを教えてください。

「子供にとって釣りが、遊びの選択肢のひとつとして、しっかり存在してほしいですね。だから今も地上波の番組では専門用語を分かりやすい言葉に置き換えるようにはしています。

ついつい『タックル』とか言ってしまうじゃないですか? なんとなく分かるだろうとは思うけど、どうしても言ってしまうから気を付けないと。 

だけど今は、いっぱい楽しいことがあるからねー。こんなに選択肢があるか、っていうくらい。けど、そのうちのひとつとして釣りを残すように、僕ができることはやりたいですね。あと個人的にはマグロ。スタンディングですね」

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――それは相模湾ですか?

「いや、クロマグロの100kg。今は規制がかかっちゃいましたけど。もし規制が解かれたら新潟、もしくは龍飛崎(青森県)かなぁ。だけど、その前にキハダの30kg。楽しそうでしょ?」

ーータックルは準備されているんですか。

「それこそ18000番のリールにYGKのPEライン、8号を巻いてますよ(笑)。

タックルに入魂は済んでるんですよ、サバで(笑)。ずーっと追いかけてもカツオすら出なかったんで、マイクロベイトパターンだったと思うんですけど全然だったから、帰りにジグサビキを投げるとサバが3連ですよ。でもさすがマグロタックル、全然曲がりませんでした(笑)。100kgは難しいかもしれないけど『目標は高く』です」

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