武蔵vs小次郎 決闘の地「巌流島」はどこにある?場所とアクセス方法を解説。今は意外な活用方法で注目

巌流島と言えば、武蔵と小次郎が決闘を行った島として有名だが、では、実際にどこにある、どんな島なのか? そして、今、その立地を生かした、意外な活用方法で人気となっている。その活用方法について解説していこう。
※写真は過去のもので、現在と違っている可能性があります

>>巌流島の意外な施設<<

●文:ルアマガプラス編集部

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巌流島は、下関市にある小島。定期船が運行されていてアクセスも容易

1612年、剣豪の宮本武蔵と佐々木小次郎が刃を交えた地だと言われている巌流島。プロレスファンであれば、1987年にアントニオ猪木とマサ斎藤の壮絶な対決を思い出す人も多いかもしれない。

島の名前はよく知られているが、実際にどこにあるかご存知だろうか? 巌流島は、正式には船島(ふなしま)と呼ばれており、かつては人が住んでいたこともあったようだが、現在は無人島。島の約1/3を山口県・下関市が所有し、残りの2/3を民間の企業が所有している。

イラストのように、海峡の真ん中に浮かんでいる巌流島(船島)。下関市と北九州市・門司区に挟まれているような位置関係とんっている。

周囲は約1.6kmのちいさな島で、所在地は「下関市大字彦島字船島648番地」となっている(場所の詳細は、上のマップイラストを参照)。さらに詳しく場所を知りたい場合は、下記グーグルマップを参照。ちなみに、現在の島の面積は、宮本武蔵と佐々木小次郎が対決した頃よりも、埋め立てによって3〜6倍の大きさになっているそう。

巌流島(船島)へのアクセス方法

かつてこの巌流島(船島)を訪れた際のアクセス方法は、当日、船乗り場で電話連絡すると、船長さんがどこからともなくあらわれ、小型の渡し船を出してくれるという、ややイレギュラーな手段だった。定期船と違い、こちらの都合で出船してくれるので便利ではある。

利用した渡し船。現在も運行しているかは不明。

小さな漁船を出してもらい、巨大なタンカーの横を通って巌流島へとおもむく。宮本武蔵はどのような景色を見ながら、対決の島へと渡ったのか。

ただし、この渡し船が今も運行されているのかどうかは不明。実際に訪れる場合は、関門汽船が定期船を運行しているので、そちらを利用するというのが現実的だろう。ちなみに、山口県・下関市側からも、北九州市・門司区側からも出船している。平日と土日で、運行ダイヤが異なるため要注意。

巌流島の船着き場(桟橋)。

乗船時間は10分足らず。あっという間に巌流島に到着。きれいな桟橋が設置されており「ようこそ巌流島」の文字が、来島者を歓迎してくれる。

【巌流島 定期船運賃(関門汽船)】

  • 往復料金:大人1名900円 小人1名450円(下関発着・門司港発着)
  • 下関発→巌流島→門司港着:大人1名900円 小人1名450円
  • 門司港発→巌流島→下関着:大人1名900円 小人1名450円

観光地として有名だが、実は意外なレジャー施設が併設

巌流島の古代伝説や宮本武蔵と佐々木小次郎の対決の逸話、島で起きた出来事が読める年表は興味深い。この年表によると、昭和48年(1973年)に、残っていた唯一の居住者が島を去り、以降、無人島となったと記されている。

また、対決に遅刻した宮本武蔵が利用した小舟の再現なども、人工海浜で見ることができる。では、島の見どころを写真でザックリと見ていこう。

巌流島 観光ギャラリー

宮本武蔵と佐々木小次郎の像。

巌流島の碑の向こうには関門橋と海峡ゆめタワーが見える。

巌流島(船島)年表。昭和62年(1987年)に行われたアントニオ猪木vsマサ斎藤の「夜のデスマッチ」も明記されている。

巌流島(船島)の観光案内マップ。ちなみに、上が南、下が北の表示。

島の概要。「負けた小次郎の流派にちなんで、巌流島と呼ばれるようになりました」。

人工海浜に再現された、宮本武蔵の小舟。

引きの画。

散歩しながら見て回るのに丁度いいサイズ感。

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