ミス釣りKeyword2「共鳴。」
釣るだけじゃなく、失敗するのも釣りだよね
リアリズムの追求。それが釣りどれんイズムの根底にある。
バスブーム当時、世にはアウトドアの雰囲気ばかりを追った、あり得ない虚構の世界が数多く繰り広げられていたのも事実だった。
村田「ベイトロッドにスピニングリールが付いていたりね(笑)」
とだ「当時村田さんに教えていただいたのは『芸能人持ち(※注4)』」
「注4 芸能人持ち」
とだ「最初に村田さんから基礎的なことはしっかりと」
初めてロッドを握ると、グリップエンドを持ってリールのハンドルを回しがち。不自然であるばかりか、力学や人間工学を無視した所作に村田さんは警鐘を鳴らした。第13巻でのタレントMC・間詰満干の持ち方がそれだ。
とだ「あぁ、そういうのはダメなんだなと。それとウチのチーフアシスタント・ヨシノボリくん(※注5)て子が仲間内で唯一釣り経験があったので、村田さんに聞くほどではないことは教えてもらってましたけど、限界はある」
「注5 ヨシノボリくん」
第4の釣りどれん功労者チーフアシ・松田瀧魚(現:松田重工)さん。
とだ先生のスタジオでチーフアシスタントとして活躍した松田さんはMr.釣りどれんでは「松田瀧魚」名義で監修として表記されている。オマケマンガではヨシノボリくんとして登場。チームで唯一の釣り経験者は、村田さん多忙時に劇中でのリアルな釣りシーンの徹底に貢献したという。
とだ「例えば次回は雨のお話(※注6)にしようとキャラクターを組み立てて、雨だと魚はどう動くのかを村田さんに教えてもらったり」
「注6 雨のお話」
雨が降ると、実は……! 難し過ぎない解説がよかった。
第4巻の魚雷ミサ登場時に初の雨天シーン。しかし、この際には魚の生態等についての解説はなく、第6巻の雨宮麻美登場時に詳細解説が入る。話が進むほどに、内容は濃くなっていく。とだ先生の言う「読者と共に成長」がそこに現れている。
村田「釣りってさ。釣れるばかりが釣りじゃないわけだよ。昔はテレビで魚をバラすのはご法度な時代だったけど、俺が初めて出演するときに良いところばかりじゃなく、ダメなところもしっかり放映してくれと。それが釣りのリアルだから。当時としては意外性があったのか、これがウケたウケた(笑)」
とだ「村田さんがバラすシーンは、絵になりますよね。それだけに限らず、いろいろ説明してもらう時ももうテレビで観るまんまの姿で、集中できるし、すごく楽しく解説してくれる。僕はなるほどと、マンガの中でもいろいろ反映させていただきました。キャラクターのドタバタは自分の頭の中で作れるけど、釣りのことはやっぱりリアリティがないといけないなと。多少大げさには描いていますけど、すべては村田さんから得たことが基本です。読む人が『僕もできるかも』と試してもらえたらうれしいなと」
リアリティという観点では、釣れる魚のサイズも現実的だった。初巻からしばらくの間は、主人公たちが釣る魚のサイズはいずれも30cm台(※注7)だったのは、世の少年たちに共感を生んだのではないだろうか。
「注7 魚のサイズは30cm台」
超ド級サイズはごく稀、共感を呼ぶサイズ設定。
とだ先生は「大きいのを釣ったことがなかったから(笑)」と自嘲するが、常に読者目線であったことは間違いない。当企画担当ライターの記憶が確かなら当時の霞ヶ浦水系で45cmは稀だった。実にリアルな数字だ。
とだ「だって、我々スタッフが誰もでかいのを釣ってない(笑)のもありますよね。50cmとか、全然現実味がなかったです(笑)」
村田「読者の皆さんと共にマンガも成長していった感があるよね」
とだ「最初の頃、村田さんにバスの大型の目安は50cmで、ランカーサイズと呼ぶと教えてもらって、ならばとマンガの中では『ランディー』サイズだと(※注8)」
「注8 ランディーサイズ」
釣りどれん独自の基準表現。時に『メガ』ランディーも。
後に別の釣りマンガにも影響を与えた、釣りどれん独自の表現。当時の阪神タイガースで活躍した助っ人外人選手にインスパイアされたという。なお、第3巻で島野彩子先生がゲットした98cmのシーバスは『メガ(シー)ランディー』と表現された。
とだ「ランディー・バース選手の背中にはBASSの英文字と背番号44。だったら『44cm以上』ていうことにしようと。当時阪神タイガースファンだったもので(笑)。その言葉はいつの間にかひとり歩きして、ある時釣りマンガを読んだら『やった! ランディーサイズだ!』と。それって、釣りどれんだけの設定なんですけどね(笑)」
釣りどれんが果たした影響力は計り知れない。用語のみならず、様々なストーリーは世の少年アングラーを育んでいった。
とだ「まぁ、44cmでもなかなか釣ることはできませんでしたけどね(笑)。初めての琵琶湖で釣った魚が16cm(笑)。それでもめちゃくちゃうれしかったです」
村田「1990年代はまだしも2000年代に入ると、霞ヶ浦水系を始めとしたフィールドでは徐々に釣れなくなってきてはいた頃だね」
とだ「釣れたら何でもうれしいと思うんですよ」
村田「そうだよね。最近はバスがなかなか釣りづらいから、霞ヶ浦水系では釣りやすいキャットフィッシュの釣りをおすすめしているよ」
とだ「なるほど。ブルーギルだって釣れたら楽しい。マンガの中では『幸せの青い魚(※注9)』ってお話の中で、生き物の大切さを訴えたつもりです。けど、僕がもし関東じゃなくて、西日本でバス釣りを始めてたらもっと大きいのが釣れるマンガになってかもしれませんね(笑)」
村田「どっちかっていうと、西日本は関東に比べて釣りの文化が遅かった感はあるよね。厳しくなり始めた関東から西へ行く人も多くなり始めた時代でもあったね」
とだ「当時は確かに西へ行くと、僕でも釣れましたからね(笑)」