じゃんけんに勝って釣り人生が一変!? ハードルアーを『探す道具』と教えてくれたプロアングラーとは?【ザ・ターニングポイント 三原直之】

今季で国内最高峰バス釣りトーナメント・JBトップ50の引退を表明した三原直之さん。自身の今後を見据えた発言や、メディアを通し目にする生き様に多くのアングラーが注目。それでは三原さんが三原さんになったターニングポイントを追ってみたい。

●文:ルアマガプラス編集部

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Profile

三原直之(みはら・なおゆき)
東条湖をホームレイクとするバスプロ。トップやクランクを軸として魚を探し、サイトやビッグベイトなどで食わせるというスタイルが魅力だ。JBで13勝していて、2015年、2019年にはJBのクラシックを制覇。

あのじゃんけんが、僕の運命を変えました

先輩から教わることで自分を補完した三原的ターニングポイント突破法

鳥取県に生まれた三原さんは、4歳ころから釣りを始めて、16歳からバスにハマったそうだ。そして、高校を卒業したら、いったん一般企業に就職。ところが、そこで心境に変化が生じた。

三原「働いてお金をもらうより、釣りする時間の方が欲しい…となって、会社を辞めてプロを志したんです。結局、19歳でヒューマン大阪校に入りました」

NBCのチャプター戦に参戦し、兵庫県の東条湖に通い出したのもこの時代のこと。ヒューマンの卒業後は、居酒屋でバイトしつつJBのローカルシリーズやマスターズにエントリーしていた。

三原「あの当時、東条湖のボート屋さんの支配人さんが、『ルアーニュースに送る釣果情報を自分の代わりに書いてくれたら、ボート代を無料にしてあげるよ』と言ってくれたんです。そのおかげで東条湖に通って練習することができました。あれが、僕の基礎となったし、礎となりましたね」

そんな三原さんにとって、最大のターニングポイントは、ヒューマン2年生の頃だったという。

三原「ヒューマン時代の僕は、魚探の釣りをよく練習していて、多分、今よりシューティングが上手かったと思うんですよね。ところが、試合で愛媛県の野村ダムに遠征したら、下から2番目の順位だったんです」

野村ダムは、普段釣りをしていた東条湖より格段に広い湖だった。得意のシューティングで魚は釣ったものの、ウエイトを伸ばせなかったのが敗因だった。しかし、この問題をどう克服すべきか、当時の三原さんにはわからなかった。それを解決に導いたのが、バスプロの小林知寛さんだったという。

三原「ヒューマン卒業前の12月、吹雪の中で、最後の実習がありました。その時、小林知寛さんがゲストとして参加してくれて、ひとりだけ小林さんと同船できることになったんです。どうしても同船したかった僕は、それを決めるじゃんけんを死に物狂いで勝ち抜いたんです。ところが、小林さんが船に持ちこんだのはワンタックルだけで、ルアーも結んであるバイブレーション1個だけ。彼はそのバイブレーションだけで釣りをし始めたんですね。すると、あるとき『次の1投で釣れるでえ』と言ったんです。そしたら、本当に次の1投で釣れたんですよ。あれは衝撃でした。結局、僕が1本、小林さんが2本釣って実習は終了。他のヒューマン生は全員釣れず、僕らだけが釣れたんですね」

ヒューマン2年生の時、小林知寛プロと同船した実習中に釣りあげたバス。この時に教わった「ハードルアーで魚を探す釣り」が、その後の三原さんのスタイルを作り上げた。

この時、小林さんはウィードの引っかかり具合を確かめながら、バイブレーションを巻いていたらしい。そして、なかなか千切れない良質なウィードエリアを探り当てたとき「次の1投で釣れる」と、宣言したのが真相。小林さんからそんな種明かしをされた三原さんは、野村ダムで苦戦した経験をボート上で小林さんにぶつけてみた。すると、小林さんは次のようなアドバイスをしたという。

小林「小さな東条湖だったら、魚探をかければ魚に出会える。でも大きな湖ではそうはいかない。ただし、ハードルアーを『探す道具』として扱えるようになったら、どこ行っても釣れるようになる。いる魚に食わせる釣りではなくて、とにかく探す釣りをしなさい」

この言葉は、三原さんにとって天啓となった。そして、クランクベイトやトップ、あるいはチャターベイトで魚を探し、ビッグベイトなどで仕留めるという、現在の彼のスタイルが確立されるターニングポイントとなったのだ。

三原「あのじゃんけんが、僕の運命を変えましたね」

時には、じゃんけんの強さが人生を切り拓くこともあるのだ。

順番は前後するが、ヒューマン入学直前にも、三原さんにとって大きなターニングポイントとなる出会いがあった。

三原「就職した会社を辞めて、ヒューマンに入るちょっと前に、地元の鳥取にある食堂でアルバイトしていたんです。すると、その店の店長が『うちの店には、毎週釣りのプロが来るんやで』というんですね。そして、その人が来ると言われる水曜日になると、ついに登場したんです。それがボブ高浜さんでした」

ボブ高浜さんは、ハードルアーで野池のビッグバスを叩き出すことに長けることで知られる、凄腕の釣り師。三原さんが、ヒューマンに入学して、プロを目指している意気込みを高浜さんに伝えると、「それならいろんなことを教えてやる」と、応えてくれたのだ。

三原「それからは毎週水曜日になると、海鮮丼を食べるボブ高浜さんの隣に座って、いろんなことを教わり、ノートに書きとってましたね。ほとんどがハードルアーに関する話でした。あれは非常に勉強になりました。店長も、仕事をせずに高浜さんの話を聞けと言ってくれて、ありがたかったですね」

ヒューマン入学前のバイト期間に、偶然バイト先の常連客に「ボブ高浜」さんがいた。彼が店に来る日は、メモを取りながら釣りの話を聞き、三原さんの大きな貯金となった。

その後、ヒューマンに入学した三原さんは、シューティングなどに傾倒。でも、小林さんによって「探す釣り」の重要性に気づかされたら、ボブ高浜さんからの教えが、息を吹き返したように大きな財産となった。三原さんは、小林さんと高浜さんから教わったことを融合させて、次第に自分のスタイルを確立していったのだ。

小林知寛さんは、岡山県の旭川ダムをホームとする凄腕トーナメンター。ヒューマン時代の三原さんにたった1日で大きな影響を与えた。昨年は霞ケ浦でも優勝し、実力は健在!

三原「このお二人との出会いが、大きなターニングポイントですね。フィッシングショーで、僕もステージに立たせてもらえるようになった時、会場で高浜さんにお会いしたら『よかったなあ! 』と言ってくれたんです。あの時はめちゃくちゃ泣きそうになりました」

ターニングポイントとなった実習時、小林知寛さんが使っていたルアーがブザービーターだった。ブザービーターで良質のウィードを探り当てて、バスを予告してヒットさせた。


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