国内最高峰トーナメントを辞め、2024年よりバスアングラー憧れの地・アメリカへの参戦を予定している青木唯さん。若くして国内の様々な試合を制し、バウンティハンターの異名さえ持つ彼はどのようにしてその実力を手に入れたのか?その道筋は決して華々しくはなく、むしろ泥臭い、ど根性アングラーの顔が見え隠れしていた…。
●文:ルアマガプラス編集部
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全試合で賞金を取らないといけない状況に追い込みました
スポーツ界に精神論、根性論が聞かれなくなって久しい。特にバスフィッシングにおいては、メンタルの強さこそ必要不可欠だが、根性が釣りにプラスとなるかどうかは、疑問視されるだろう。しかし、今最も注目されている若手トーナメンターの一人・青木唯さんは、弱冠23歳にして、まさにド根性で道を切り開いてきた、近来稀に見る異色のバスプロだ。
青木「僕がバス釣りを始めたきっかけは、高2の冬の時期、進路に迷っている時でした。本当は将来税理士を目指す予定で、国立大学に受かるべく勉強をしていたんです。その理由は、経済的に恵まれていなかったから。だから、高収入の職業に就きたかったんです。でも、いつしか『お金のあるなしがそんなに大事か? 』と、進路に疑問が生じたんです。そこで、今までの人生を振り返り、自分が楽しかったことは何だったろうと考えてたら…『釣り』という答えが出てきたんですね」
それまで、釣りには年に1~2回しか行っておらず、真剣にやったこともなかった青木さん。でも、釣りに行ったときは楽しいし、なんとなく自分が魚をよく釣るなあと感じたり、生き物を獲るのが得意だなあとは感じていたようだ。
青木「そこで、釣りのユーチューブ動画をチェックしていたら、バサーオールスタークラシックで青木大介さんが優勝し、泣いているシーンが出てきたんです。それを観た僕は心が震えました。そして、彼のようなバスプロになりたいと思っちゃったんです。というわけで、実は真剣にバス釣りを始めたのは高校3年からなんですよね」
なんというスロースターターかと思いきや、そこからの彼は、ありえないスピードでロケットスタートを切った。
青木「バスプロになると決めてから、学歴も必要ないから、高2まで通っていた高校を途中でやめました。ただし、高卒の資格だけはとっておけということで、通信制の高校に入り、開始1~2カ月で全単位とったんです。その後、高校3年生の時は午前中バイトして午後は釣りに行くという生活。親とは毎日ケンカでしたね。そして、勝手にヒューマンに応募しちゃって、親にガミガミ言われながらも入学。そこからはヒューマンで河口湖生活です。そのままバスプロになりました」
決断力と行動の速さには驚くほかない。ただ、ヒューマン河口湖校では厳しい現実が待っていた。
青木「河口湖に着いた瞬間から壁がそびえていましたね。僕はその当時、2~3セットくらいしかタックルを持ってなかったんです。ところが周りのヒューマン生は、道具もふんだんに持っているし、ボートまで持ってる人がいたりしました。もちろん技術もあって、釣り方とかもよく知ってて、ものすごい格差を感じました。正直、こんなんじゃ、俺はヤバイなと思いましたね」
そんな危機感を持った青木さんにできることは、とにかく練習するしかなかった。
青木「ヒューマンの授業は釣りだから、釣りをして、バイトに行って、夜中に帰ってきて、廊下でキャスト練習して、腕が痛くなるまでやって、また学校。それをひたすら続けていたら、2年生になるとJB戦も出れるようになって、気づいたら、同学年の誰よりも釣れるようになっていたんです。『経験値より、気持ちの問題なんだな』と、ひとつ乗り越えた気がしました。ただし、それは同学年の人の壁を越えただけなんです。僕が目指すのはトーナメントプロだから、トーナメントでご飯を食わなきゃ意味がない。そこからちょっと投資して、ステーサーのボートとか魚探を購入しました。この年勝てなかったら、バスプロ辞めなきゃいけないだろうなと思えるほどの借金をして。もう、全試合で賞金を取らないとやっていけない状況になりましたね。自分自身がそこまで追い込んだのも事実で、それぐらいの危機を乗り越えないと、食っていけないだろうと思っていたんです」
そもそも青木さんは、ヒューマンの河口湖校に入学する際、山形の友人の連絡先もすべて削除したという。それにどんな意味があるかは計り知れないが、とにかくすべての退路を断って臨んだという覚悟と気迫は伝わってくる。
青木「初戦の河口湖は2位をとったから、次戦生き残れました。そして次戦もお立ち台だったから、また生き残れました。この繰り返しをしていって、確かマスターズで2位になって、ちょっとまとまったお金が入りました。そこで勝負に出て、全部バイトを辞めたんです。それから、今の今まで賞金だけで食べています」
最近は、御両親もトップ50の試合には応援に来るらしい。きっと青木さんには天性の才能もあるのだろう。でも短期間で頭角を現すことのできた理由は、やはり自分自身を追い込んだからだという。
青木「これで食っていくんだという姿勢だったので、ヒューマン在学時の成長速度は、ずば抜けていたと思います。同じ2時間の授業でも多分10倍くらいの集中力があったと思うし、練習の密度だって全然違ったと思います」
若い彼には、この先にもターニングポイントが待っているだろう。
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