【29才からバスプロに!】2年間ほぼ毎日通い込んで得た学びが大輪の花を咲かせるとき@冨本タケル【カバースキャットボトムジャーク誕生秘話】

近年誕生した釣りでありながら、すでに多くのアングラーが対デカバス、ボウズのがれ策として信頼しているカバースキャットのボトムジャーク。この釣りを世に広めた釣り人が冨本タケルさんであることは今更説明する必要はないかもしれない。しかしその冨本さんとはどんなアングラーなのか?また、カバースキャットのボトムジャークとはどのようにして生まれたのか?そのルーツに迫りたい。

●文:ルアマガプラス編集部

2024 シーバス特集

Profile

冨本タケル(とみもと・たける)
再現性の高い釣り方で、ゲストにビッグバスを釣らせる、「琵琶湖最強」ガイド。B.A.I.T年間優勝3度獲得、第1回琵琶湖艇王優勝など、圧倒的実力は試合でも証明。カバースキャットのボトムジャークは一世を風靡した。

マリンスポーツのプロから琵琶湖最強バスプロになった理由

人生最初のバスは、小5の時にホッテントットを投げて野池で釣ったという、冨本タケルさん。彼は、若い頃からバスプロを目指していたわけではなかった。20代前半は、ジェットスキーのプロとして活躍。しかし、ワークスではなくプライベートチームで生計を立てていくのは厳しくて、28歳で引退。そこで、新たなスタートとして選んだ道がバスプロだった。

意外にも、本格的にバス釣りをスタートさせたのは29歳からという冨本さん。2年間欠かさず通った池で学習したシーズナルパターンは、後に琵琶湖で大輪の花を咲かせた。

冨本「チャプターなどのトーナメントに出始めたけれど、最初はぜんぜん勝てませんでしたね。ただ参加しているだけみたいな選手だったんです。でも、どうしてもこれが悔しいということで、練習することにしたんですね」

そこで冨本さんが選択した練習法は、地元にあった一つの野池に毎日通いこむこと。とにかく春夏秋冬のブラックバスの動きを徹底的に知るために、365日近く通いこんだという。

冨本「仕事がある日は朝と夕方。土日はもう朝から晩まで、二年間同じ池に欠かさず通い続けました。台風の日と、風邪をひいた日ぐらいかな、行かんかったのは。二年間きっちり釣りこんで、本当に勉強になりました。シーズナルパターンも理解したし、もうどんなフィールドでも対応できるだろうという段階になったんです。あの池…というか小さなダムなんですけど、バス釣りはあそこで勉強しましたね」

満を持して、トーナメントにフル参戦し始めた冨本さんだったが、そう簡単に練習の成果は成績に反映されなかった。

冨本「やっぱり琵琶湖だなということで。バスボートを買って琵琶湖チャプター、京都チャプター、西ノ湖のチャプターにも出ましたね。でも、なかなか勝てなかった。良くて15位とか、ノーフィッシュもありましたね。でも、この時がターニングポイントだったと思います。トーナメントに出ると、答え合わせが最後にできるじゃないですか。釣ってきた人がお立ち台でしゃべることですね。あれが毎回凄く勉強になった。本当のことを言ってる人もいれば、嘘を言ってる人もいるんだけど、いろんなことがわかってきたんですね。琵琶湖におけるシーズナルパターンが僕が通いこんだ池のシーズナルパターンと、だんだん? 噛み合ってきたんですよ」

冨本さんは、いつしかその日のストーリーを描いて、試合に臨むようになったそうだ。そのプラン通りに進めばだいたい勝利することができた。そして、状況変化などでたとえプランが崩れても、その時は全てを白紙にして、感覚で釣っていく能力まで身につけた。そうなるまでに5~6年かかったというが、トーナメントでの答え合わせは、大きな財産となった。冨本さんにはもう2つ、大きなターニングポイントが訪れる。まず一つ目は2016年8月の琵琶湖での大会。

冨本「2日間で29キロ近くウエイインしたんですね。これは2日間の合計ウエイトでは、非公式ながらレコードとなる数字で、今も抜かれてはいません。その試合をきっかけに、ガイドのお客さんも増えたし、メディアの取材も増えた。明らかに世の中への知名度が上がりましたね」

琵琶湖での成績をじわじわ伸ばしてきた冨本さん。2016年、B.A.I.Tで2日間で28935gというウエイトを出しA.O.Y.獲得。写真は2020年、琵琶湖艇王獲得の笑顔!

当時ティムコと契約関係にあった冨本さんは、マグナムシェイキーのパンチショットで、ヘビーカバーを攻略。歴史に残るレコード勝ちを収めたのだ。そして、もう一つ、冨本さんの名前を全国に轟かせたターニングポイントがある。ご存知の通り、カバースキャットの釣りだ。

冨本「カバースキャットは、もともと奥村和正さんが作ったんですよね。でも、サンプルが送られてきた時は、正直琵琶湖では使わないだろうと思ったんです。当時はサカマタシャッドのノーシンカージャークが全盛で、結構みんな表層をジャークして使っていました。高速トゥイッチでくわせたりね。でも、僕は最初からボトムまで落として、ボトムでジャークして食わせていたんですよ。その釣りがめちゃめちゃ釣れたけど、内緒にしてました」

しかし、冬場になるとバスもディープへと落ちる。サカマタシャッドのノーシンカーをボトムまで落とすのが難しくなってきた時点で、冨本さんは高比重のカバースキャットを使ってみたのだ。

冨本「すると、びっくりするくらい釣れたんですよ。でも、これは南湖だったので、もし北湖のディープのゴツゴツするところで使ったら、どうなるかな? と考えたんですね。そうしたら、なんと10lbオーバーが4本も出ました。3キロ以上のクラスは10本以上。『凄い釣り方を発見してしまった』と思いましたね。もちろん、しばらくは内緒でやってました」

それはカバースキャットのノーシンカーを水深10m以上のディープまで沈めて、ボトムを這わすようにジャークさせる釣り。もちろん、そんな釣りは誰もやっていなかった。でも、いつまでも内緒にはできなくなった冨本さんは、約1年後に動画を制作して完全公開したのだ。

岸際カバー用に設計されたカバースキャット(デプス)を、琵琶湖北湖のディープで使用し、革命を起こした冨本さん。ノーシンカーを10m以上のボトムにまで沈める。

冨本「当時あの動画を観て、真似した人は、全員釣れたと思いますよ。それで一気に火がついて、あのボトムジャークが世に定着しましたね」

もちろん、冨本さんの知名度が更に上がったのは言うまでもない。それだけではなく、このカバースキャットのヒットは、もう一つの効果を産み出した。

冨本「収入面が大きかったですね。カバースキャットはもちろん売れたんですけど、それに適したフックやライン、ロッドも売れたので、ロイヤリティーがかなり発生しました。そういった部分でもターニングポイントになりましたね」

愛用ロッドはデプスのゲインエレメントシリーズ。カバースキャットやサカマタシャッドのボトムジャークには、GE-66MH+R「ソフトジャーキングエレメント」が最適 。


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