[墜落した機体か]消息不明の戦闘機の一部を発見。第二次世界大戦中のものの可能性も。

世界を旅する釣り人であり、釣り具メーカーのツララ(エクストリーム)のフィールドスタッフもつとめる前野慎太郎さんが、世界各地での釣行で遭遇したエピソードをレポート。今回は、パプアニューギニアへの釣行時に遭遇した奇跡的なハプニングについて、お伝えしよう。

●写真/文:前野慎太郎(エクストリーム)

2024 シーバス特集

豊かな自然が残るパプアニューギニアの最奥地を目指す

ルアマガ+をご覧になっている皆さま、こんにちは。前野慎太郎です。今回ご紹介するのは自然豊かなパプアニューギニアでの出来事。

電波など無い密林が続くこの国で、未開の地を求めて船を借り出し、まっさらなフィールドを求めて果敢に挑んだ結果、帰りのためにキープしていたガソリンを盗まれジャングルに取り残される…。そんな絶望を味わった旅の一部始終をご紹介いたします!

皆さんは、パプアニューギニアという国をご存じでしょうか? 聞きなれない名前かもしれませんが、実は日本からさほど遠くなく、オーストラリアの北方にあるニューギニア島の東側半分と、その付近の島々からなる国です。

今回はパプアニューギニアでの冒険釣行がテーマ。

この国には古くから先住民が住んでおり、独特の文化や風習が今なお受け継がれています。公用語は英語ですが、クレオール言語のトク・ピシン語も話されます。ジャングルの奥地に入ると村々で言語が違う場合もあり、その言語数は細かな違いも含めると800以上にもなるそうです。

また、国土の大半を熱帯雨林が占めており、そこで育まれる生態系には極楽鳥などをはじめ、数多くの生き物が生息しており、豊かな自然が魅力的な国なのです。

20代前半で、体力・気力ともにあふれんばかりの私は「誰も行ったことがない、最奥の地に行ってみよう」と息まいて、意気揚々と首都ポートモレスビーのジャクソン国際空港に降り立ったのでした。

現地に到着し、まずは聞き込み調査。物価の高さに不安がよぎる

入国審査を通過して空港の自動ドアを抜けた瞬間、ぶわっと身体を包み込む南国特有の生ぬるい空気が旅の始まりを私に告げます。Wi-Fiもほとんど普及していなかった当時、情報は自分の足で稼がなければいけません。食べ物や宿の相場、治安やお国柄など、英語の指さし会話帳を片手に、かたっぱしから聴き込みを開始します。

パプアニューギニアのお金「キナ」と「トヤ」。

その過程で驚いたのは、なんと物価の高いこと。扇風機しか付いていないゲストハウスで1泊4000円という、貧乏旅人の私からすれば目が飛び出そうな価格です。食べ物も高額で、かつ美味しくないという有様。今後の出費を考えると予算が不安でなりません。

聞き込みついでに遊んだりもします。

ポートモレスビーの宿。

現地の漁師に声をかけ、船を確保

次の日、ポートモレスビーからウエスタン州のダルという島に降り立った私は、海へと続く一本道をてくてく歩いて港で漁師を探します。目指すのは熱帯雨林の奥深く。ダルから奥地に行くためには一旦海へ出て河口から川を上る必要があるので、木船ではなくしっかりした船が必要です。

ダルへ向かうプロペラ機。

ダルのメインストリート。港まで続く一本道。

港で何人もの漁師に声を掛け、ようやく良い船を持っている漁師に出会いました。彼は奥地の村出身で地理にも詳しいとのことなので、旅の案内人として雇うことにします。

ダルの中心地はカオス。

そして最も重要な、船を動かすためのガソリンですが、必要な量はなんと300リットル。ちなみに、ガソリンの価格は日本の倍以上だったので、たった二日で今回の旅の資金の大半を失ってしまいました。

タックル(釣り具)片手に、案内人を探すために港に向かう。

船で数日かけて、最奥の村を目指す

ひとたびダルの港から海へ出ると、水平線まで続く大海原が広がります。小船では少し心もとないですが、ありがたいことに海は凪いでおり、残り少ない残金で買ったパプア産ビール「SP」を堪能しながら10時間。

ガソリンはドラム缶ごと船に乗せる。

ようやくモアヘッド村という集落に辿り着きました。パプアニューギニアでは、ひとたび町を抜けるとインフラ整備は極端に無くなり、人間が一切手を加えていない本来の大自然が姿を現します。

パプア産ビールSP。

その結果、奥地では一部を除きほとんどの村が自然と共存した原始的な生活をしています。結局この日はモアヘッド村で一泊させて貰うことになり、次の日からは案内人の村に立ち寄りつつ、数日かけて最奥の村を目指すことになりました。

「何しに来たんだ!」原住民から辛辣な言葉を浴びる

モアヘッド村から案内人の村まではトラックの荷台に乗って移動し、そこから最奥の村までは再びボートで川を遡ります。道中は特にトラブルもなく、二日後には最終目的地の村に到着しました。

トラックで移動中。灼熱の炎天下でみるみる日焼けしていく。

村の名前はパウワンジャム村。この村は小高い丘の上にあり、私たちはようやく急勾配の丘を上り終えたかと思うと、そのまま50人ほどの村人に囲まれました。奥地の村は時に排他的な側面が見られる場合もありますが、今回も村長らしき人物に「何しに来たんだ!」と辛辣な一言を浴びせられます。

てっきり歓迎されるかと思っていた私は、つたない英語を駆使しつつ必死で地面に絵を書き、身振り手振りで釣りをしに来たことを伝え、加えて案内人も村人を説得してくれたおかげで、なんとかパウワンジャム村に滞在させてもらうことができました。

「これから5日間、こんな田舎で何をして過ごせばいいんだ…」

案内人は5日後に迎えに来ると言い残し、そそくさと自分の村へ帰っていきました。きっと私たちを運ぶついでに里帰りをする魂胆だったのでしょう。

宿泊していた小屋。夜になると大量のネズミが荷物を狙う。

ひと段落したのち、私は釣りをするためのボートを貸してほしいと村長に尋ねます。しかし帰ってきた返事は「村に1つだけあるカヌーは村人が使っていて1週間は帰らない。何より今は雨期なので、網でも魚が取れないよ」とのこと。ボートはまだしもカヌーすら無いのは想定外。「これから5日間、こんな田舎で何をして過ごせばいいんだよ…」と落胆したのでした。

サゴヤシを削ってデンプンを水に溶かす。

しかし悪いことばかりではありません。一度打ち解ければ村人はとても親切で、私たちにたくさんのことを教えてくれました。この地域では村と村の関係を維持するために政略結婚のような事が行われていたり、サゴヤシの幹から抽出したデンプンを原料とするセイゴという食べ物が主食であったり、村唯一の収入源が、ロウソクの元になる木の実を隣国インドネシアの商人に売ることであったりと、あまりにも日本とはかけ離れている生活に驚かされました。

夜中になるとネズミにリュックを食い破られて非常食を食べられたり、塩がないために味気ない食事に辟易することもありましたが、何とか約束の5日間を耐え抜いて船頭の迎えを待ちました。

案内人が戻ってこない!? 仕方なく、別の手段で村を出ることに

ところが、待てども待てども船頭が戻ってこないのです。約束の日の翌日も来ることはなく、7日目の朝になりました。迎えが来る気配が無いことを察した私たちは、たまたま村に来ていたインドネシア商人のカヌーを借りて、村長と一緒に案内人の村まで行くことを決めました。

ちなみにカヌーはお尻にジャストフィットサイズです

順調に下れば5時間ほどで着くとのことでしたが、実際に出発してみると雨期のために陸地が冠水し、川と陸の区別が付かないので遠回りになってしまいます。おかげで草原の上をカヌーが走る幻想的な風景が見れましたが、途中で暴風雨に巻き込まれたこともあって大幅に遅れてしまい、気づけば辺りは暗くなってしまいました。

冠水した草原の上を走るカヌー。

月明かりを頼りに進んでいると、森の中に建物らしき影が現われました。半信半疑で上陸してみると、そこは偶然にも案内人の村。夜明けまで野宿したのち、村人に尋ね回って無事に案内人と合流します。「なんで迎えに来なかったんだよ!」という私に、「今日行こうと思っていたんだよ」と悪びれることなく言い放つ案内人。現地の人が時折見せるこの適当さに今後も苦しめられようとは、この時は知る由もありませんでした…。

村人の狩りに同行。待望の釣りのチャンスが到来!

次の日、村人が狩りに行くということで同行させてもらいます。狩りの道具はなんと手製の弓矢。こんなもので本当に狩れるのか?と疑問でしたが、彼らは私では引けなかった強弓を軽々と引き放ちます。

弓矢を準備する村人。

瞬く間に大量のワラビー(小型のカンガルー)を狩ってきました。あまりの狩りっぷりに唖然としましたが、彼らにとっては貴重な食料であり、伝統的な手法なのです。

大量のワラビーを狩っていた。

狩った獲物は村に帰る前に焚火で毛皮を焼き落とすのですが、その待ち時間に釣りをさせてもらうことになりました。ようやく訪れたチャンスだと真剣に釣りをしていると、突然強烈なアタリと共に釣り竿をひったくられます。

驚きつつも強烈な引きに耐えながら魚を岸辺まで寄せて、最後は同行者が魚に飛びついてキャッチしてくれました。水辺で歓喜する私たちに向かって、「ワニがいるから早く上がってこい!」と村人が焦りながら叫び、その声で我に返った私たちは、飛ぶように水から上がります。釣れた魚はバラマンディ。

苦労の末に釣れたバラマンディ。

南アジアからオセアニアを代表する釣魚です。その後も釣れ続きますが、全てのワラビーが焼き上がってしまいストップフィッシング。何とも微妙な終わり方ですが、それも含めて生涯忘れないであろう思い出の魚となりました。

他にもいろんな魚をキャッチ。

ここでもう少し釣りを楽しみたいところでしたが、今回のターゲットの1つであるパプアンバスの生息地が一番最初に到着した川という情報を得たので、思い切って最初の川まで戻ることを決断します。

雨季のため道路が寸断。仕方なくカヌーで移動中、とんでもないものに遭遇

往路と同じように車でモアヘッド村に向かいますが、毎日降る大雨の影響で倒木が幾度となく道を塞いで通れません。その度に迂回したり、倒木を解体しながら進みますが、目的地まであと少しというところで川が氾濫しており、それ以上進めなくなってしまいました。

トラブル続き。さすがにまいった…。

仕方なく一旦村に帰って水が引くのを数日間待ちましたが、雨は勢いを増すばかり。このままでは埒があかないということで、案内人とは分かれて別の漁師とカヌーでモアヘッド村を目指すことになりました。所要時間は6時間とのこと。この手の話はもはや全く信用していませんが、陸路が閉ざされた今はカヌーにすがるしか道はありません。

湿地を進むカヌー。

「これ以上何も起きないでください…」祈る思いで大湿原へ漕ぎだします。途中、水に沈んだ広大な熱帯雨林をカヌーで突っ切ると漁師が言い出しました。私は全力で拒否しましたが、彼は「大丈夫だ、俺を信じろ!」の一点張り。結局私が妥協して、水没した熱帯雨林という名の迷路に突入することに。その結果、しっかり道に迷ってしまうのでした。

道中で見つけた残骸。村人曰く、第二次世界大戦時に墜落した日本の戦闘機とのこと。

復路分のガソリンが盗難に。街に戻るすべを失い呆然…。

いつしか辺りは暗くなり、カヌーが転覆しないようゆっくりと熱帯雨林を進みます。どれほど時間が経ったでしょうか。さすがに焦りが見え始めたころ、遠くでドンドコドンドコと太鼓のような音が聞こえます。その音を頼りにカヌーを進めると、明らかに人工的に木々が伐採されて作られた水路が現われました。実は私たちが出発する前日にカヌーでモアヘッド村に向かった先遣隊がいたのですが、彼らがいつまでも到着しない私たちを心配し、捜索してくれていたのです。

無事に捜索隊と合流し、出発してから24時間以上かけてなんとかモアヘッド村に到着。ここまで戻ってくれば釣りもできるしダルまで帰るガソリンもあると安心する私に、この旅最大の誤算が生じます。なんと、村で預かってもらっていた復路分のガソリンが無くなっていたのです。開いた口が塞がりませんが、今思うと軽率でした。ただ一つ言えることは、私はここにきて完全に帰る術を失ったのです。

残りのマラリア予防薬を数えながら「俺はここでマラリアに罹って死ぬのかぁ」と絶望の日々を送っていたある日、突然バラバラバラバラッと聞いたことのない大きな音が鳴り響きました。驚いて部屋を飛び出すと、そこには目を疑う光景が。なんと村にヘリコプターが着地したのです。意味が分からず村人と一緒にしばらく呆然としていましたが、ハッと我に返ってヘリコプターのパイロットに駆け寄ります。「ダルまで連れて帰ってくれ!」ワラにもすがる思いで懇願しましたが、「無理」と一蹴されてしまいます。もはやショックすら感じない私でしたが、本当に驚いたのはここからでした。

突然村に着陸したヘリコプター。夢でも見ているのかと思った。

起死回生の奇跡を引き当てる

夕暮れ時、ヘリのパイロットたちはモアヘッド村に泊まることになり、私たちと一緒に食事をとりました。その際に「君たちはもしかして日本人かい?」と尋ねられます。「そうだよ。どうして?」と聞き返すと、意外な答えが返ってきました。なんと彼の結婚相手は日本人だったのです。それがきっかけで日本の話をするうちに仲良くなり、これも何かの縁だということで、仕事終わりにヘリコプターでダルまで乗せて帰ってもらえるという奇跡を引き当てたのでした。

翌日、お世話になったモアヘッド村の方々に挨拶をして、機材を満載したヘリコプターに乗り込みます。初めて乗るヘリコプターから見たパプアの熱帯雨林は想像以上に広大でした。「こんなところをよくも木彫りのカヌーで…」終わってみれば笑い話ですが、思い返せば最初から最後までトラブル続きだったこの旅。本来の目的であった釣りはほとんどすることができませんでしたが、ここでの辛くとも新鮮な日々が、旅の醍醐味を教えてくれたのだなと思います。

ダルに到着したころには残り日数も少なくなっており、再度の奥地アタックは控える事にしました。幸い海は目の前なので、帰りの飛行機まではダルの住民とのんびり海釣りをして過ごします。しかし心はすでに次の旅。悔しい経験をバネに必ずまたパプアニューギニアに戻ってくると心に誓い、私の初めてのパプア旅は幕を閉じたのでした。

アングラープロフィール

前野慎太郎(まえの・しんたろう)

20カ国超!海外遠征を繰り返し「自分だけしか見たことのない景色や魚」を求め、秘境を探しさすらう。地元広島河川のシーバスを始め、国内でもあらゆる釣りにチャレンジ。TULALAフィールドスタッフにして、Routesシリーズ開発担当。XBRAIDサークルメンバー


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