「ヤバすぎ…嘘だろ…」1日で350匹…とんでもなくブラックバスが釣れまくる場所が存在した。

琵琶湖でバスフィッシングが注目され始めたのは1980年代のこと。今や国内はもとより世界有数のでかバス聖地として知られる湖にまで成長したことは誰もが知る。ここではおよそ50年に渡るこれまでの琵琶湖史を振り返る。未来永劫に続く今後のバスフィッシングの礎となれば幸いだ。

●文:ルアマガプラス編集部

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徳永兼三(とくなが・けんぞう)
都内蒲田の老舗プロショップ・バスメイトのオーナーにして、国内バス黎明期を盛り上げた生き字引。JBワールド(現トップ50)プロとしての活躍や、96年レイク・バカラックで獲った11lb5ozが当時の6lbラインクラスのワールドレコードを記録するなど超濃密なキャリアを持つ。また米国ラスベガス、レイク・ミード開催のUS OPENでは6位、15位と2度の入賞も。バスフィッシングのみならずソルト界でも名を馳せている。1955年12月1日生(68歳)、東京都出身。

他に誰もアングラーがいない中、船中350尾! 86年、琵琶湖初のプロガイド誕生

「琵琶湖で釣り始めたのは80年代前半ですね。それ以前によく通った池原ダム釣行では3日釣りをして釣り人に1人会えば珍しい時代で(笑)、そんな中で出会った関西の人たちと語り合って『琵琶湖はもっと釣れる』と行ってみたのが始まりです。琵琶湖ではカートップでジョンボート。北湖の海津や大浦、南湖の雄琴などから降ろして誰も浮いていない琵琶湖を満喫しましたね」

その頃の釣果は、驚異的なものだった。

「朝4時から夕方19時まで、一体何匹のバスが釣れるかチャレンジ。カウンターを持って釣果を数え、53cmを頭に40cm台が70本、船中350本を釣り上げました。この時は、プラグは外すのに時間がかかるので、フィッシュヘッドジグにピーウィーワームのスピニングタックルで臨みましたね」

バスボートでの琵琶湖釣行は86年のこと。

「私が輸入した国内第1号の小島圭一さんのバスボートには85年河口湖でローランド・マーチンが乗ったことで知られますが、第2号となる私のレンジャー・コマンチ320はその翌年。度々琵琶湖まで引っ張って行って、お客さんをガイド。一度行ったら数週間滞在しました」

おそらく初の琵琶湖プロガイドと目されるのが徳永さんだ。

「フィールドとしての大きな変化は、当時は全域にアシ原が多かったですね。それが湖周道路の開発が進んで行くと共に徐々に減って行った印象です。ニゴロブナが減っていったのは、生息できる環境が少なくなったというのが正解だと思いますよ」

バスマガジン 1995年4月号
徳永さんがバスボートを駆る姿が表紙を飾る一冊。この当時の愛艇はアストロ21DCX/マーキュリー225XRiとの記載がある。

1995年1月号

2003年4月号
それぞれJB10周年の1994年を振り返る号、翌年の20周年を前に展望を語る号。いずれにもJB草創期を振り返った徳永さんによる「日本で2台目のバスボート」「誰もいない琵琶湖」の記述が。


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