『Mr.釣りどれん』裏話満載超ロング対談! とだ勝之さん&村田基さん&講談社編集猪熊泰則さん

『Mr.釣りどれん』。それは我々釣り人にとって、不朽の名作にしてバイブル的存在。月刊少年マガジン(講談社)で連載が終了して早20年が経とうとしているが、未なお色褪せず我々の心を掴み続ける。縁あって作者のとだ勝之先生にお会いする機会に恵まれた。共に向かったのは、そう、Mr.釣りどれんの聖地、潮来つり具センターだ。

●文:ルアーマガジン編集部

2024 シーバス特集

『Mr.釣りどれん』とは?

90年代のバスブームを支えた少年アングラーたちのバイブル

「釣りのある生活」をテーマに、個性豊かなキャラクターたちのドラマを描いた90年代の人気コミック。パロディ要素の強い、ハイセンスなギャグやストーリーとは裏腹に超実践的なハウツーをわかりやすく解説。当時、多くの少年アングラーの成長を支えたバイブルである。

1996年から2002年まで実に5年超の長きに渡り、月刊少年マガジン(講談社)で連載。年に3冊ペースでコミックスが刊行され全17巻を数える。推定発行部数は「1巻で20万部」(猪熊)とのことで、全巻ではどれくらいだったのだろうか。

Mr.釣りどれん著者

とだ勝之(とだ・かつゆき)

釣りどれん、生みの親。不朽の名作はこの手が。

コーイチくんやちょー太くんを始め、我々の心に深く刻まれる壮大なストリーを生み出したMr.釣りどれんの父。多忙の中、スタジオのある広島県福山市からご足労いただき、今回の企画が実現。巻頭の描き下ろし新作完成へと至る最中の鼎談だった(大感謝)。

Mr.釣りどれんアドバイザー

村田基(むらた・はじめ)

釣りどれんを全面支援、影のスーパー功労者。

公式にアドバイザーとしてその名は発表されていないが、Mr.釣りどれんを影で支えた功労者にしてプロフェッショナル・デモンストレーター。

とだ先生をはじめとした釣りどれんチームと共に国内外へ釣行を繰り返し、指導と共に濃密な経験をフィードバック。劇中の良き釣りアニキ・カイザーこと、貝沢潮のモデルであることは言うまでもない。潮来つり具センター及びウォーターランド代表。

講談社・とだ勝之編集担当

猪熊泰則(いのくま・やすのり)

二人三脚で紡いだ名編集者。

月刊少年マガジンの若き編集者として作者と同じ空間を過ごすことで、名作の質をさらに向上させた名アシスト役だ。月刊少年マガジン編集長を経て、現在は大人気書籍・講談社ラノベ文庫で編集長を務める。

ミス釣りKeyword1「リアリズム。」

とだ先生と村田さん、出会いは釣りの現場で

村田「連載が始まる前に、バスフィッシングを経験したいと連絡をもらってね。でもさ、突然だったし『本当に釣りマンガやるの? 』って感じで『しょーがないなー』と(笑)、とだちゃんたちと一緒に釣りに行ったんだよね」

とだ「最初のバス経験がバスボートですからね(笑)。当時は全くのシロートで何をしていいかもわからない。こっちがモタモタしてるうちに村田さんはあれよあれよと何匹も連発。エレキでスーッと音もなく移動しながら、手は休まずクイの1本1本に音もなくルアーを撃ち込んでいく姿を見て『コレがバスフィッシングなんだ!』と。それまでは釣りって釣り糸を垂れてジッと座っているイメージがあったんで、いやー、衝撃的でしたね! 」

村田「アハハハハハ(笑)」

作者・とだ勝之先生と、プロデモンストレーター・村田基さんとの出会い。それは1995年、平成7年の冬のことだった。

たった1度の電話でバスボート釣行を約束。今もなお多忙な村田さんではあるが、当時はバスブーム真っ只中で想像を絶するスケジュールをこなしていたというものの、それでも二つ返事での初対面が実現した。

おそらくは言葉にできない何かが互いを引き付けたのだろう。その後の一時代を築いた『Mr.釣りどれん』は、その日を境に胎動し始めたのだった。

ウソの世界じゃないよって伝えたかった

とだ「最初の釣行(※注1)では基礎からいろいろ教えてもらいましたね。とはいうものの、ライントラブルばかりで全然釣れなくて……」

「注1 最初の釣行」釣りどれんチーム初釣行は大興奮のバスボートで開幕

連載開始から遡ること約半年前、まだ冬の最中に村田さんの駆るバスボートで霞ヶ浦水系へ。

とだ「冬はバスの活性が低いってことすら知らなかった(笑)」

それでも目の前で村田さんは釣果を魅せ、とだ先生にも何とっ!

とだ「最後に『とだちゃん、釣らせてあげよう』と、『あそこのクイに向かってバイブレーションを投げて巻いてみな』と。それが釣れたんですよ(※注2)! 魔法かと思いましたね(笑)! この人に付いていけば間違いないと思い、アドバイザーをお願いしました。そこで、釣りどれんの方向性がある程度決まりましたね」

「注2 あのクイに向かってバイブレーションを投げてみな」

とだ「衝撃的でしたね。初の釣行でまさか……」

「バス釣りのバの字も知らないドシロート(笑)」だったという、とだ先生。1日の釣行が終わる間際に、村田さんのアドバイスで投げて巻くと見事に! この衝撃は連載初期にあたる第1巻で存分に活かされた模様だ。

猪熊「バスボートに乗せてもらった時は薄くて細長くて、とんでもないスピードが出て『何て凄い乗り物なんだ!』と(笑)。後で考えたら、車なら1時間もかかるような距離をあっという間に移動できていたってことがわかって、改めて凄いなとも思いましたね」

最初のバスボート釣行には、とだ先生の担当編集さん・猪熊泰則さんも同行。マンガが作られていく過程は、漫画家さんだけが苦悩するものではない。編集さんを始めとした複数人のチームでひとつひとつ物語は完成していくのだ。村田さんに最初の電話コンタクトを取ったのも実は猪熊さんだったりする。

その後は、機会が会えば度々共に釣行。村田さんのお膝元・霞ヶ浦水系のみならず国内各地、時には海外へも足を伸ばしたという。

とだ「お会いする度にいろいろ教えていただいて。とはいえ、そうそう何度もお会いできないので、お電話でご相談させていただくこともよくありましたね。『こんな釣り方を考えたんですが、どうですか』と(※注3)」

「注3 こんな釣り方を考えてみたんですが」

読者を置き去りにしない。身近かつ実現可能な釣法。

劇中でコーイチくんが手がけた「HIWAブレーション(HIWAクラフト)』は最終巻までに32号機を開発。ついには両翼を身に付けスライドフォールを実現した。その他「ミスつりリグ」など読者にインパクトを与えた釣法も多数掲載。

村田「アイデアをもらって『こうすればアリだよね』とかもあったし、もちろん『そりゃムリだよ』とかもあったよね」

とだ「今考えれば到底ムリなご相談もあったと思うんです(笑)。けど、『ここをこうすれば、不可能ではないよね』とマンガ化が実現可能な方向で考えてアドバイスをいただいて。村田さんじゃなかったら、こうはいかなかったと思いますね」

村田「そもそもマンガだから何をしても問題はないんだよ。フィクションの世界だからね。でも、とだちゃんはわりと実現できそうな話を持ちかけてくるもんだから、俺も真摯に受け止めて考えたってのはあるよね」

とだ「マンガではあるけど、『全くウソの世界じゃないんだよ』ってのをうまく混ぜていきたかったんですよね」

カイザー=貝沢潮=村田基が語る心の本音

第16巻の大ゴマでカイザーが語ったひとことは、Mr.釣りどれんのテーマ全体を象徴。たかが釣り、されど釣り。やるならとことんやってみな。そんな、とだ先生の声にならない声が読者の心に響いたのではないだろうか。

〈次のページは…〉ミス釣りKeyword2「共鳴。」へ続く