【高いのに売れまくり!】アメリカで愛される日本生まれのマネーベイト『ジャックハンマー』誕生秘話

世に“神ルアー”という物は存在する。ひとこと、かつ、簡潔な言葉にすると、誰が使っても“釣れるルアー”に他ならない。ところが多くの場合、とある一定期間、瞬間的に最大風速が吹くのみで以降は勢力が徐々に収束されていく、瞬時の台風のような場合が多いのも事実だ。語弊を承知で言うならば、それは神ルアーとは言い難い。ここに『ジャックハンマー』と呼ぶブレーデッドジグがある。2017年の登場から現在まで、常に世界の最前線をリードし続け、おそらく世界で最も広く知られる存在へと君臨。世界の誰もが使い、誰もが認める、いわば“真の神ルアー”がそれだ。開発者は、清水盛三氏とブレット・ハイト氏の二人。世界がなぜ今もなおジャックハンマーを求め続けるのか。今回、その真意を盛三さんに語っていただくことにした。

<ジャックハンマーを使ってみたい!というアナタに…>

●文:ルアマガプラス編集部

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日本が誇る世界イチのブレーデッドジグ

ジャックハンマー(エバーグリーンインターナショナル)

誰もが求める究極のモノ作り 費やす膨大な時間との葛藤

90年代に国内で華々しい戦績を残した後、およそ20年に渡る全米ツアー参戦で数々の偉業を果たし、2018年に凱旋帰国した盛三さん。その間、作り上げてきた名作ルアーは数多存在する。本誌タックル・オブ・ザ・イヤーで早々に殿堂入りを果たしたDゾーンは言うに及ばず、ワイルドハンチやフェイス、シャワーブローズなど、誰もが手にしたことのある逸品ばかり。

清水盛三(しみず・もりぞう)
’97JBクラシックウィナーを始め国内戦で数々の戦績を残した後に単身渡米。B.A.S.S.ウェスタンオープン’01~’02シリーズにフル参戦初年度で、翌年からのトップカテゴリー出場権獲得の快挙。’06バスマスターエリート・ケンタッキーレイク優勝など華々しい結果を魅せる一方、国内ではMo-DoブランドからDゾーンを代表とする名作の数々を輩出。2018年を最後にツアー生活にピリオドを打ち、活躍の場を国内へと。1970年5月29日生まれ、大阪府出身。

盛三「作るなら可能な限り、一生使い続けられる道具を作りたいという気持ちが常にある。だから、ボクが関わるルアーって、大概の年月がかかるんですワ」

世界最高峰ツアーに参戦しながらの本場アメリカと、全試合終了後…主にオフシーズンとなる日本の、状況の全く異なる両フィールドで徹底的にテストを繰り返し検証。試合という究極の現場での試行錯誤を重ねながら、Mo-Doルアーは仕上げられていった。

盛三「正直、どんなルアーでも魚は釣れる。でも、10匹釣れるモノと1匹しか釣れへんモノとではその差は明らか。ボクのルアー作りは『釣れるからOK』はない。だから最低でも3年は必要」

盛三さんの一切の妥協を許さないルアー作りが本物を形作る。その直後「ボクのこだわりを理解してくれるメーカーさんは手間も時間もかかるから大変なんやけどネ(笑)」と、ジャックハンマーを手にしながら小声で言い添えた。なんとも盛三さんらしい発言だ。

日本が誇る世界イチのブレーデッドジグ“ジャックハンマー”も無論、優に3年を越す歳月を経て完成、そしてリリースへ至ったことは言うまでもない。

盛三「いつも、最終的な答えは魚に聞く。コレは絶対で、ジャックハンマーも然り。そこはブレないよ。ましてやこのルアーは『最強のヤツ』とタッグ組んで作ってるからサ。釣れへんルアーができるはずがない」

Mo-Doでは基本的に盛三さん自身が求めるルアーをリリースしてきた。だがしかし、このジャックハンマーに限っては「最強のヤツ」と呼ぶ相棒の存在があったのだ。

「俺たちだったら絶対に作れる」魂を突き動かした“相棒”の言葉

盛三「“ブレット(・ハイト)”がいなかったら、ボクは“ジャックハンマー”を作ってなかった。実際、彼から相談を受けた当初は、頑なに…カタクナに作るのを渋ってたからね」

ブレット・ハイト(ぶれっと・はいと)
B.A.S.S.及びFLWを経て、現在はMLFに参戦中の米国ツアープロ。盛三さんとは2000年代初頭の西海岸ツアー中から知る仲で、20年来の盟友。エバーグリーンやDAIWAなど共通のスポンサードも多い。ブレーデッドジグ使いとして広く知られ、かつてのチャターベイトから現在はジャックハンマーへと乗り継ぎ、今なお最前線で結果を叩き出し続けている。1978年9月15日生まれ、アリゾナ州出身。

銘作開発の背景には、ブレット・ハイトという全米ツアープロの存在があった。『Mr.ブレーデッドジグ』の愛称で知られるその人だ。

振り返れば2000年代初頭のこと。当時の全米2大ツアー、B.A.S.S.とFLWの双方に出場していた盛三さん。日本から彗星の如く現れた期待のルーキーとして、その名を世界に知らしめ始めた頃に話は遡る。

盛三「当時、FLWの一部の選手がね、ウィードレイクのシークレットベイトとしてブレーデッドジグを使っていたのを知って、ショップというショップを探し回ったんですよ。で、奇跡的に2個だけ入手できたんやけど、その見た目や釣れっぷりも含めて、なんてヤバいルアーなんやと(笑)。とにかく衝撃を受けたのは覚えてるよ。その後、2006年に開催されたFLWツアー戦のレイク・オキチョビでウィニングルアーになったのがきっかけで、全米で一気に浸透していったんやけどね」

ちなみに日本国内ではこの手のルアーをチャター(ベイト)と認識する傾向にあるが、現在それはルアー名であり登録商標のため、世界的にブレーデッド(スイム)ジグとしてカテゴリー付けされていることを付け加えておきたい。

また、当時のブレーデッドジグは「釣れる、釣れないがハッキリしていた」と盛三さんは振り返る。フックひとつを見ても精度が異なっていたりで、各パーツを含め、実釣性能には明らかな格差があったのだという。ただ、他社のモノも含め、選りすぐったブレーデッドジグを使い込んで釣っていくことで、手が感じる感覚により構造から仕組みまで理解できるようになり、『どんなモノが釣れるのか』がパッケージを見ただけで判別できるまでになっていた。しかし、自分が使っているアタリルアーのストック数が日に日に目減りしていくのに反して、次第に入手困難になっていくそのジレンマ…葛藤との戦いでもあった。

盛三「実はブレットとはチームメイトということもあって、当時から連絡は取り合っていたんやけど、彼も実はボクが選ぶモノと同じタイプのアタリルアーを持っていてね。『自分のストックも少なくなってきたし、どうだ、一緒に作らないか?』って」

盛三さんがこの釣りに対して長けていることは彼も当然知っていたし、盛三さんも彼がブレーデッドジグ使いでもあることは重々承知していた。

盛三「そうこうしているうちに、顔を合わせば言うようになり、誘いの電話もしょっちゅう掛かってくるしで(笑)。彼は『もっとクオリティの高いルアーができる。俺たちだったら絶対作れる。お前も分かってるハズだ』ってひたすら説得に入って…。まあ、確かにボクの中での理想の形っていうのは頭の中にはあった。ただ、作るとなると最初にも言ったけど、ボクの性分からして真剣やし相当な気力がいるからね」

ブレット氏のこれでもかという説得に最終的に首を縦に振った盛三さん。清水盛三とブレット・ハイトによる、神ルアーの開発がいよいよ始まった。

二人三脚、日々築き上げる全てのトータルバランス

盛三さんが、ブレット氏からの熱烈なオファーを引き受けたのには大きな理由があった。

盛三「なぜならボクと同じ“赤い竿”を愛用していた。リールもラインも一緒。何やったらボートまで同じ(笑)。お互いに手の中に持っている感覚は全く同じやから『ブレーデッドジグはこうあるべきや』ってことを分かり合えた」

二人が求める感覚は言葉にするまでもなく合致していた。その“赤い竿”とは、グラスコンポジットモデルの“レパード”だ。ブレット氏は同モデルを武器として、2014年のB.A.S.S.とFLWの2大ツアーの開幕戦でブレーデッドジグで2連勝を果たすことになる。その勝利も共同開発のキッカケとなった。

盛三「まだジャックハンマーが存在しない時代やったけど、その試合から『Mr.ブレーデッドジグ』って呼ばれるようになってね。そんなヤツやから、やると決まれば阿吽の呼吸で開発は進んでいった感じやね」

1を言えば10を理解し合える。ルアーにまつわる数々の理想が現実化されていくのは、そう長い時間を要さないかのようにも思えたが…。

盛三「そもそもラバージグにブレードが付いた、奇抜やけどシンプルな構造。簡単にイケると思われがちやけど、実に奥が深い。フックの強度や精度、ヘッド形状、ブレードの厚みや大きさ、スカート1本1本のボリューム感など、各パーツ毎に事細かな理想のディテールを二人分、デザイナーに伝えて形にしてもらう。ルアーは全てのトータルバランスで完成していくものやから、日米の両意見を反映させるのは大変やったと思う」

盛三さんはアメリカ人としてのブレット氏との作業において「例えばひとつ挙げるなら…」と、こんなエピソードを語ってくれた。

盛三「ボクがこだわったパーツのひとつにフックがあった。魚との接点でもあるし、巻きモノだけどシングルフックやから、かけた魚をバラしたくないってことでね。で、プロトも最終段階で釣れるルアーになったときに、ブレットが『このフックのシステム、やっぱりいいよなぁ!』と(笑)。ブレーデッドジグはトレーラーとしてのワームが必須。だから、ワームキーパーを付けるときに、ズレ防止で、かつ、ワームが裂けないようにワイヤー状のキーパーをシャンクの両側に矢印の形にして装着してもらった。このアイデアはボクがジグを作ってきたノウハウをもとにしてるんやけど、彼が昔からキーパーレスのジグに瞬間接着剤でガチガチに固めて使っていたのを知っていたから、何とかその煩わしさを解消してやりたいって思いもあった。こういった細かい思考はボク自身、日本人っぽいなぁって感じる部分やね。逆に、ブレット、ソコこだわる? みたいなトコロもあって面白かったよ」

一事が万事、両国のトッププロが紡ぎ出す、想いの結晶が形となって生み出されたのが、ジャックハンマーなのだ。

プロト段階から世界が認めた稀有のハイポテンシャル

いよいよ、ある程度の完成を感じた頃、二人はプロトモデルを実戦に投入。究極の現場で試すときがきていた。

盛三「ブレーデッドジグを使う可能性がある試合は大量のサンプルが必要になる。少なくとも1000発以上は作ったと思うわ。それだけあれば、当然ながらSクラスのモデルが出てくる。ただ…」

やっぱりそこでも問題が出てくるのがこだわりの開発ならでは。

盛三「数少ないSクラスを1日2000投近くキャストするレベルで使い込むと、ブレードでヘッド前部が削れ始めてくる。すると、あるときキャストの際にアイから抜けてヘッドが飛んでいくという…スイベルとブレードだけ残ってメッチャバックラッシュ、みたいな(笑)。もう完成やなって言ってたけど、二人で再度話してやり直すことにしたんですワ…」

何か考えないとダメだということで、編み出したのがスリット構造。スリットを設けた上で、そのスリットの奥までアイのワイヤーを埋め込むことで補強。金型製作まで進んでいた工程をストップしてまでも、完全なる作品を作り上げるために妥協は許されなかった。

盛三「ここまできたら絶対エエもんができることは分かっていた。お互いに釣れるルアーの手中での肌感覚をようやく完成形として生み出す時が来ていたからね。かつてブレットが言ったように『俺たちだったら絶対作れる』って信じて作り込んでいった珠玉のルアーがね」

完成間近のプロトタイプは、彼らが試合で使うや否や、瞬く間にトッププロたちの間に拡散していった。まさに、かつてチャターベイトがシークレットルアーとして噂されるようになったのと同じ状況だ。

盛三「しかも、ジャックハンマーはまだ発売前やったからね。トップシークレットとしてB.A.S.S.内で広まっていったんやけど、徐々にその名が知られるようになって…そしたら今度は本家Z-MAN社から、米国で売らせてくれと正式にオファーがあってね。元々アメリカではパテントの関係で発売できないことが分かっていたから、その話はホンマに嬉しかったよ。ボクらの作ったブレーデッドジグが世界で売られるということは、本場アメリカで本物だと認められたことになるからね」

プロト時点から降って湧いた思わぬサプライズ。ところが二人はそこに満足することなく、開発の手を止めなかった。

現在、米国では16ドル前後(2,500円弱)の価格で販売されている。多くの米国産ブレーデッドジグが6~8ドルで販売される中で、ひときわ高価なジャックハンマーだが、それでも飛ぶように売れていく。発売当初は品薄状態が続き、ネットオークションでは日本円にして1万円もの価格でも瞬時に消えていったという。

盛三「発売から7年目になるけど、今でもウィードがキーになる試合があれば、上位選手のほとんどがジャックハンマーだったりする。おそらくメジャー戦では、かなりの確率でウィニングベイトとして絡んでいるはずだよ。今ボクは米国戦から退いているけど、本場の選手にとってもマネーベイトとして立役者になっていることに嬉しく思うよ。だって、ボクの“分身”が世界で活躍してくれているワケやからね」

世界標準、ワールドスタンダード。ジャックハンマーというブレーデッドジグの完成型がここにある。

ジャックハンマーのパワーレス版 タフ時に威力「ステルスブレード」

ノーマル

ステルスブレード

「これはボクが日本に帰ってきてから…これもブレットの強烈なリクエスト(笑)に応えて作ったモデルやね」
クリアウォーターで目立ちにくいクリアブレードに置き換えることでローインパクト化しただけではない。水中に振動するベイトフィッシュサウンドを奏で、オリジナルとは異なる新たなバイトを引き出すことを可能にしたもう一つの世界基準だ。


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