1999年の第一回タックル・オブ・ザ・イヤーのソフトルアー部門1位はゲーリーのシングルテールグラブ4inだ。もっと以前から統計を取っていたら、日本に入ってきた1985年辺りから、ずっと1位だったのでは? その後合計4度の1位に輝き、最後に戴冠したのは2013年。あと少しで日本上陸40年だ。これは100年経っても現役なのでは?
●文:ルアマガプラス編集部
この記事はルアーマガジン12月号より抜粋
Profile
ゲーリーグラブの履歴書
シングルテール グラブ4in【ゲーリーインターナショナル】
- サイズ:4インチ
- 入数:10
1985年頃、全国のプロショップにグラブが20本も入っているパッケージが並ぶようになった。それが当時ゲーリーヤマモトが生産していた、ツインティーズの3Sスーパーグラブ。当時、湘南・平塚のショップ「ライズ」で、このワームを目にした若き日の河辺さんは一目ぼれしたという。
河辺「見た瞬間、これでしょう!と思いましたね。たしか確かそれを持って河口湖に行ったんだけど、とにかく釣れました。エサのように釣れましたね!どの湖行っても釣れました。その噂が広まって、2回目の入荷の時はお店に人が並んで待ってたもん。ワームですよ?」
すぐにゲーリーヤマモトブランドの4inグラブも日本に入ってきて、その人気は決定的となった。ほどなくゲーリーヤマモト本人と知り合い、88年ころから日本でのビジネスを受け持つことになった河辺さんは、2人で当時のプロショップを巡って営業活動にいそしんだ。
河辺「ゲーリーと2人で2トントラックにゲーリーグラブを28色積んでさ、行商に行ってたね。九州まで行ったよ」
でも、飛ぶように売れたわけではなかったという。
河辺「だって、28色コンプリートしないと売っちゃダメと言われたからね、ゲーリーに。これがきつかった(笑)」
その後、「グラビンバズ」というバジングメソッドを公開してブレイクしたり、バスブームによって更なる飛躍を遂げたり、とにかくゲーリーグラブは多くの人に愛された。
もちろん、様々なメーカーからは、追うようにしてグラブがリリース。でも、気が付いたら、ライバルたちは姿を消していた。
トップ50に昇格したリビングレジェンド
河口湖でのJBマスターズ最終戦を終えたばかりの河辺さんは、翌朝には常陸利根川のサムライボートサービスにいた。
「昨日は厳しかったけど、なんとかトップ50に昇格できたよ!」
今年65歳の大台に乗るレジェンドが、マスターズで年間10位に食い込み、トップ50の参戦権を獲得したのだ。外見では50歳前後にしか見えないほど若々しい河辺さんだが、実力で獲得したトップ50は、まさしく快挙。
「グラブで釣れるのかな~?」
そんなことをつぶやきつつ、タックルに4inグラブをセット。その笑顔にはかなりの自信を感じた。
しかし、マリーナのスタッフによると、最近の利根川水系は絶不調で、バスを釣ってくる人が珍しいほどとのこと。
急に秋めいた感のあったこの日、まずは常陸利根のカバー撃ちから入った。もちろんルアーは、4inグラブのテキサスリグだ。
心から信頼していれば迷いは生じない
午後1時を回った。まだ釣れていない。普通、ルアーを限定された取材では、釣果が芳しくないとほかのルアーを使いたくなるのが人情だ。でも、河辺さんにそんな邪念は微塵も感じられない。4inグラブで釣れないなら、何をやっても釣れない。そんな信頼感があるのかもしれない。そして、4inグラブはその信頼を裏切らなかった。
河辺「あー! やった! やっぱりカバーだった!」
ぶち抜かれたバスが、無重力のように宙を舞った!
河辺「よかったあ! これはグラブじゃなきゃ釣れない魚だよね」
不調と言われた利根川本流だったけど、やっぱりゲーリーグラブは釣れた。
河辺「このグラブは魚の習性を刺激する動きが出る。それからやっぱりマテリアルがズルいですね。これからも出しどころさえ間違えなければ、まだまだ釣れますよ」
これは100周年の年でも、きっと釣れるんじゃないか? ナチュラルにそう感じた。
グラブじゃなきゃ釣れない魚だよね
河辺「落ちパクしてくれなかったから、ちょっと誘ってたらアタリが出たね」
ブッシュの最奥ではなく、このバスはやや手前で食った。
この記事はルアーマガジン12月号より抜粋
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