ドライブビーバーやMMZなど、OSPからリリースされている唯一無二の存在感を放つソフトベイトたち。その生みの親でもある小林明人さんは日本最高峰トーナメントに参戦する現役トーナメンターでもある。そんな小林さんのオリジンとはどのようなものなのか?クローズドフェイスリール使いとしても知られる小林さんの素顔に迫る
●文:ルアマガプラス編集部
Profile
バス釣りが好きで仕方ない少年はパワープレイで自らの釣果を伸ばした
まだJBが黎明期だった1980年代の後半、タックルボックス誌が主催する「スーパーカップ」は、当時最も注目度の高いバストーナメントだったと言っても過言ではないだろう。その大会に中学2年からエントリーして、中学3年の時には山中湖の大会で12位に食い込んだ少年がいた。それが小林明人さんだ。
小林「88年のスーパーカップは中学生ながら全戦エントリーしましたね。一人で前夜に行って、野宿してました。あの時代は、他にもそんな少年がいましたよ。中学の卒業文集にもスーパーカップの話を書きましたね」
しかも、12位に入った試合での釣り方は、ファットギジット(当時人気のあったチューブワーム)にスライダーワームを突っ込んだ独創的なリグ。ワームに浮力を持たせて中層に浮かせるという作戦が当たったという。まさに彼は早熟の天才だったのだ。
小林「徳永謙三さん、弘志さん兄弟、それから楠ノ瀬直樹さんとか、大人のバスプロにかわいがってもらってましたね。当時、謙三さんは既に今でいうパワーフィネスの釣りをしていました。あの1gのスプリットショットをアシに入れていく釣り方は、めちゃくちゃ釣れましたね」
それは、当時「ライトフリッピング」と名付けられた釣り方で、徳永謙三さんの店「バスメイト」のオリジナルロッドに、クローズドフェイスリールのアブ1044を装着した、当時最先端のスタイルだった。やがて、高校に進学した小林さんは、NBCジュニアにエントリーし、神奈川チャプターでかなりの好成績を出したという。でも高2になるとバス釣りから離れてしまう。
小林「バイクにハマって、釣りをやめちゃったんですよ。そして、プロのレーサーになろうとして高校も辞めました。でも、結局資金繰りに困って、自分で会社を起業したんです」
それはクルマのコーティングや、フイルムを貼る会社。この事業が軌道に乗ると、レースよりも商売が面白くなってしまい、小林さんはレーサーになることよりも経営に没頭するようになった。それが90年代後半の話。当時、日本は未曽有のバス釣りブーム。それでも、小林さんはバス釣りに復帰することなく、約10年間は竿も握らなかったという。
小林「29歳の時、NBCのホームページを開いたら、同級生の茂木孝一くんがマスターズで4位とかになっていました。長瀬啓一くんとか、16歳の頃に知り合いだった友達が、みんなJBに出ていたんです。そして長瀬くんに、何年かぶりに電話してみて、自分もバス釣りやってみよう…となったんです。それが、2002年の3月のことでした」
一念発起した小林さんは、1週間でタックルをすべて新調し、アルミボート一式も購入。ただし、ボート免許が間に合わなかったので、まずは手漕ぎボートで参戦し始めたという。
小林「5月の印旛沼で、千葉チャプターに出たら、手漕ぎでボートでいきなり優勝しました。5本で5800g。年間7戦あったのに3戦目から出て年間2位だったのかな? その年はなぜか成績良かったんですよ。河口湖でも優勝しましたね」
翌年の2003年にはJB登録して、JBイースタン河口湖Aで年間3位。2004年にはJBマスターズに昇格と、10年のブランクを全く感じさせない、破竹の勢いで快進撃を続けた。小林さんにとってのバスフィッシングは、中断期間はあったものの、ここまで壁にぶち当たることもなく、順風満帆だったといってもいい。ところが、ここからじわじわと成績が落ちてしまったらしい。
小林「最初はカバーを撃つことしかやってなかったけれど、そのうちダウンショットやらなんやら新しい釣りを覚えていくと、釣れなくなってきたんです。2005年くらいから全然ダメでした」
そんな不調から少し立ち直ったのが2011年のこと。
小林「震災があった年ですね。あの年はタックルを全部変えたんですよ。並木さんの影響もあって、リールもロッドもDAIWAの最先端モデルにしたんですよ。当時、ベイトフィネスがまだ出始めで、タックルの新調によって、2.7gのライトテキサスが自分の武器になりました。この、ベイトフィネスのカバー撃ちをどこでもやるようになって、成績が安定してきたんです」
これが第一のターニングポイントとなったが、ベイトフィネスが一般的になっていくにつれて、徐々にアドバンテージも減っていった。JBトップ50にもなかなか上がれず、年間順位も40~50位をうろうろしていた。
小林「それが、2015年くらいからよくなったんです。パワーフィネスを覚えたんですよね。つまりは枝などに引っ掛けてシェイクするちょうちん釣りなんですけど、この釣りがヤバいと気付いたんです。しかも、PEラインをクローズドフェイスリールに巻いてみたら、その釣りにものすごく相性が良かったんです」
つまり、80年代後半に徳永謙三さんが広めていた、「ライトフリッピング」のシステムを復活させたのだ。これがターニングポイントとなって、釣果は飛躍的に伸び、小林さんはTOP50にカテゴリーを上げることができた。
小林「クローズドフェイスのメリットは、手返しの良さと、キャスト精度が高いことですね。それから、変な話ですけどリールが重いので、ちょうちん釣りのシェイクには向いてるんですよ。自分ではそう思っています」
このように温故知新のような上達ストーリーも、バスフィッシングにはあり得るのだ。
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