
琵琶湖でバスフィッシングが注目され始めたのは1980年代のこと。今や国内はもとより世界有数のでかバス聖地として知られる湖にまで成長したことは誰もが知る。ここではおよそ50年に渡るこれまでの琵琶湖史を振り返る。未来永劫に続く今後のバスフィッシングの礎となれば幸いだ。
●文:ルアマガプラス編集部
profile
成尾拓史(なるお・たくじ)
高校生時代(1990〜1993年)に琵琶湖で行われるNBCジュニアトーナメントに精力的に参戦を開始。琵琶湖から発信される国内バスフィッシングの夜明けを肌で知るひとり。1975年3月28日生、大阪府出身・滋賀県在住。
リブレと下野正希さんが拓いた90年代琵琶湖文化
「小〜中学生の頃は琵琶湖へ連れて行ってもらうことはありましたけど、ガッツリ釣りに行けるようになったのは高校生の頃でした。JB/NBC戦の会場のひとつがリブレバスクラブで、当時支配人を務めていたのが下野(正希)さん。僕は大阪在住だったので、始発で現地へ向かっても間に合わない。前日入りが必要となるわけですが、高校生ですからそう懐も温かいわけじゃない。湖西線の駅から会場までの間の道端に野宿する子たちもいたわけです。下野さんは『これはイカン。親御さんたちも安心して預けられない』と、格安仮眠施設を提供してくれたんです」
現在のSDG Boat Worksの2階、後に旧ジャッカル本社となったのがそこだ。
「まだ琵琶湖にマリーナは数少ない時代。リブレは試合会場ということもあって、もちろん下野さんを始め、今江克隆さん、菊元俊文さん、藤木淳さん、吉積健司さん、関東からは田辺哲男さん、河辺裕和さんといった、当時20〜30代の錚々たるメンバーが集まっていたんです。最先端のギアを目にする機会も多かったですね。マップ画面ではなく座標表示だったGPS、現代主流のフロロカーボンラインの開発、当時は新素材と呼ばれていたPEの試作品などなど。そんなトッププロたちが試合で切磋琢磨する姿を見たり、ときに食事をごちそうになったり、とても良い時代を経験させていただきました」
マリーナを拠点として、下野さんを始めプロガイドというスタイルが定着し始めたのもこの頃のことだという。
琵琶湖の情報発信拠点 リブレバスクラブ
「元々はヨットなど他の水回りのスポーツ関連がメインでしたが、下野さんが支配人となった時代からバスフィッシングの拠点に」
現在では数多くある琵琶湖のバスフィッシングに強いマリーナの先駆けだ。
●滋賀県大津市今堅田3-23-19
https://www.rivre.co.jp/bass/
関西バスフィッシングが琵琶湖という1カ所に集結へ
「トーナメントが盛んになっていく一方で、裏方としてリブレに頻繁に出入りしていたのが服部宏次さん。琵琶湖発信のバス雑誌『バスクラブ』の編集さんです。琵琶湖ローカルにはこんな人がいるよと、こんな釣りがあるよと様々な事例を紹介。立田博さん、奥村和正さん、村上晴彦さんといった方々を誌面で掘り下げたのもこの頃ですね」
琵琶湖は各方面から様々な人材を発掘してきた歴史がある。
「それまで関西のバスフィッシングって、兵庫は東播や西播エリア、奈良には池原&七色、そこに通う京都や大阪組で、それぞれにトレンドがあったんです。その時代に琵琶湖でトーナメントが隆盛していったことで、関西の文化が初めてひとつのエリアに集中し始めたんです。新たな様々な物が生まれていくきっかけにもなったんですよ。同時に釣り場も魚も成長して安定期に入り始めた時代でもありました。まだロクマルは1つのマリーナで年間数本が報告される程度の珍しい時代でしたけど、徐々にビッグバスフィールドとして名を馳せるようになっていきましたね」
そしてバスバブルと呼ばれる94〜95年が世に訪れた。
バスクラブ1(週刊釣りサンデー別冊)
1991年7月25日に第1号(=画像)創刊、1995年の第10号まで続いた琵琶湖情報満載のバス専門誌。第2号では成尾さんが寄稿した記事も読むことができる。
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