金森隆志×江口俊介 出会い、再会、出発、そしてライバルへ。

金森隆志×江口俊介 出会い、再会、出発、そしてライバルへ。

金森隆志と江口俊介。

この二人のアングラーは、陸王の対戦者として、はじめてこの地で出会った。
ここ紀の川での戦いは、陸王の長い歴史の中でも1、2を争うインパクトを残した戦いでもあった。
この戦いから数年後。江口俊介は金森隆志率いるレイドジャパンに合流し9年を共に歩み、2025年、その場所から去る。
今回のこの地での「再会」は「再開」でもあるのだ。

●文:ルアマガプラス編集部

2008年の陸王第3戦の経緯

陸王という企画は、2008年3月号から始まっている。

正確に言うと、『岸釣り1on1バトル』という企画が前身になっており(関和学さんと川村光大郎さんの対決)、同年6月号から『陸王』という企画名称になり、以降、ルールの成熟を経て現在まで継続されている企画だ。その陸王黎明期の4戦目を誰にするかという会議は紛糾した。

当時、ロッド&リール誌(地球丸)で岸釣りスターとして活躍していたひとりのアングラーの出場を巡ってだ。

そのアングラーとはご存知、現在は人気メーカー・レイドジャパンを率いる金森隆志さんだ。

そのころ金森さんは、ロッド&リール(以下、ロドリ)誌以外での露出がなく、ある意味ルアマガにとってはライバル誌の看板アングラー。

候補として上がった際、当時社内で『時期尚早』『実力不足』『あえて出場させる必要はない』という意見も少なからずあった。

とはいえ、当時のバス釣り雑誌といえば、ルアマガとロドリが頭ひとつ抜けたメディアで、そこの看板。人気という面では群を抜いたアングラーであるのと同時に、大人の事情的には、当時、彼がメガバスのアングラーであり、メガバスはルアマガにとっても大人気メーカーだった。

そんな事情もあり、反対意見もあったものの、出場の依頼をするよう編集長から指示が出た。そこで、当時メガバスの担当記者を務めていた私が、彼に打診をしたところ、こんな返答が返ってきた。

「自分、ある程度の選手としかやりませんよ。そうですね、せめてAさんクラスでないと」

実は、とある選手の試合を想定していると提示したところ、こんな返答が来たのだ。なんという自信家。

ロドリでは確かに実績を残している。人気もトーナメンターとして活躍するアングラーと肩を並べる。
だが、対戦となったときにその実力が発揮されるかというと話は別だ。

一字一句同じではないので誤解はしないでほしいが(記者の記憶も17年前で正確でない)、ニュアンス的には、「その選手とやれと言うなら陸王には出ない」的な言質が飛び出したのだ。私は編集部にそれをそのまま報告した。

「じゃあ、金森なんて出さなくていいよ。一生ロドリでやってりゃいい」
「トーナメンターに勝てるわけないじゃん。天狗になってるの? あ! じゃあ、江口くんとやらせようぜ」
「それで受けるならやってもらおうよ。受けないと思うけど(笑)」

江口とは、江口俊介さん。当時、JBのトップカテゴリーで飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍し、次世代のバスアングラーとして台頭していたガチの実力派トーナメンターだった。その対戦者の名前をひっさげ、金森さんに再交渉に臨んだ。

「金森くんさ。編集部の下馬評はこうなんだ。誰も君がトーナメンターである江口俊介くんに勝てると思ってないよ? でもね、勝てるチャンスはあると思うんだよ。出てみない? 『所詮オカッパリの人』って言われているの悔しくない?」

金森隆志というアングラーが、陸釣りのスターであり、人気者であるのは間違いのない事実。
ということは彼が誌面に出ればルアマガの購買層の拡大に繋がる。そういった打算も、もちろんあった。
でも、ここで出場して実力を示すことができれば絶対に金森さんのジャンプアップに繋がるし、なによりこの対戦は面白いじゃないか。私は彼を必死で説得した。

「いいですよ。やりましょう」

交渉の甲斐あって、金森さんは、この陸王の対戦を受けてくれた。
この対戦は絶対、始まったばかりの陸王に大きなインパクトを与えてくれる。実際にそうなったし、事実、記者にとっても忘れ難い対戦になったのだ。

邂逅

ここは2008年紀の川戦で、金森さんがロングワームの表層引きパターンを爆発させて勝利を決定づけた、まさにその場所。当時は写真対岸からアプローチしていた。

江口さんに当時のことを振り返ってもらうと負けたインパクトが強く、本人はあまり魚を釣った記憶がないという。しかし、初日はリミットメイク、2日目も3尾を釣っている。当時から紀の川はクセのあるメジャーリバーとして知られていた。

2008年10月号陸王
飛ぶ鳥を落とす勢いの実力者「江口俊介」とオカッパリのプロとして台頭してきた「金森隆志」

陸王のこの取材は2008年の7月、もしくは8月初旬ころの記憶。つまり今回の再会はほぼ同時期。17年前ということで各所地形も魚影も変わっていた。

天才アングラー江口俊介という男

今回、因縁の地で再会した2人は、別々に散らばって釣りを開始した。

当時は陸王という対戦だったか、今回は、どちらかがとりあえず魚を釣ればOKという取材趣旨。
ピリピリした感じは当然なく、のんびりやって魚が出れば御の字というゆるい雰囲気。エリアを分担する流れに自然になった。

江口俊介。JBのトップカテゴリーで通算5回の優勝経験があり、2008年当時でもすでに4回のJBトップ50シリーズで優勝。残すは年間優勝か? と囁かれていた天才アングラー。

2021年にトーナメントシーンを引退したものの、JB在籍時から今に至るまでヒットプロダクトを量産し続ける、モノづくりにおいても天才と言える。
現役時代は、ほかのライバル選手からも『江口は起こすな』と一目置かれていた。

起こすなと表現したのは、実は2008年の陸王のこの対戦以降、江口は2018年に至るまでトップカテゴリーで優勝をしていない。復活を果たし優勝すること自体、とんでもないことなのだが、とにかくトーナメントシーンで爆発させないようにと裏では画策されていたほど警戒されていた選手だった。

彼にとっていい意味でも悪い意味でもターニングポイントになった陸王・紀の川戦。
飛ぶ鳥を落とす勢いの『天才』と誰もが認めていた江口俊介は、金森隆志に負けた。
しかも、とんでもないパターンに打ち負かされた。そのときの裏話を少ししよう。

初日、トーナメントクローラー8in(メガバス)の表層引きという当時としては珍しいストロングパターンでハメた金森隆志さんがスコアを大きくリード。

本来陸王という企画は、各記者が担当する選手を固定して取材をするのだが、初日にそのとんでもない釣り方でリードを広げた金森さんを見たいということで、最初、江口さんを取材していた担当Nが、試合2日目は金森さんについたのだ。

当然、私は、翌日は江口さんについた。初日に見た金森さんの爆発力は強烈なインパクトではあったが…、その当時の正直な感想を言おう。

釣りの総合力で言うと、勝っていた金森さんより、トーナメンター江口俊介のほうが上手かった。釣りが上手かった。
これで差がつくのか? と思うほどに的確な紀の川攻略をやっていたのだ。

今回、再び訪れた紀の川で、当時を思い出しながら2人は釣りをしたのだが、実釣後の対談で、金森さんは少し哲学めいた話をしている。

「釣りが上手いのと強いのはちょっと違う気がする」

それを言ったら、この対戦時の江口さんは上手いも強いも兼ね備えた化け物みたいな選手だった。
この化け物みたいな選手を『岸釣りの巧者』である金森隆志は打ち負かしたのだ。そして、江口さんは対戦後に彼を認めてこう言った。

「オカッパリのプロっているんですね。いや、すごかった」

トーナメンターこそバス釣りの絶対的な指標。そう誰もが疑わなかった時代に、岸釣りの巧者がトーナメントプロを打ち負かしたのだ。

金森隆志さんは確固たる岸釣りのプロというジャンルをここで確立させ、陸王という企画の価値を押し上げたと言っても過言ではないだろう。その後、意気投合した2人は友となり盟友となる。

やがて金森さんはレイドジャパンというメーカーを立ち上げ、それを江口さんも一緒に盛り上げていく。そんな盟友の江口俊介さんが9年の年月を経て、今年、レイドジャパンを離れる。

世間ではさまざまな憶測が流れたが結論から先に言おう。二人は相変わらず仲がいい。

そもそも、そうでなければ今回のような取材自体が成立しない。では、紀の川の地で再会した2人の『再開』について語ってもらうことにしよう。

江口俊介はレイドジャパンを9年支え、そして2025年、新たな道を進む

当時とは状況が違う中、爆発させたそのワンドでなんと50アップを釣り上げた金森さん。1級のポイントに陣取り、粘り勝ちの1尾。
金森「あのとき釣り逃した60アップを釣ろうと思っていたのですが(笑)」
江口「言うたって50アップ! モッテるなー」
釣ったルアーはジャストストレート4in(レイドジャパン)。

あのとき釣り逃した60アップ、今回釣ってやろうと思ってたんですけどね(笑)

対談 金森隆志×江口俊介

“音楽性の違い”ってバンド解散のネタの定番があるでしょ?アレです(笑)

編集部:まずは当時の陸王の記事を見てもらいながら…。

金森「だいぶ違うね」

江口「シュッとしてる、シュッと(笑)」

金森「髪の毛とか俺、縮れてるし(笑)」

まずは、当時の容姿を見て懐かしむ2人。ちなみに、金森さんは当時、トーナメントクローラー8inの表層引きパターンでバスを連発した思い出のポイントで、今日も釣りをして50アップを釣っている。計測はしていないが、少なくとも51~52cmくらいはあった。

金森「今見てみたら、川幅はそんな変ってないかもしれない。変わったと思ってたけど。で、記事を見たらスコアが初日5500gと2500gくらい。これだと2日目にどうなるかわからない差だよね」

江口「自分、もっと釣ってないと思ってた。リミットとか揃えてたんだね(笑)。なんか懐かしいな」

金森「あ、この対談のときの刺身の盛り合わせの写真。ルアマガ史上、例に見ないくらい晩飯で盛り上がっちゃって、経費使いすぎて担当者が会社に怒られたって聞いた(笑)。当時はスタッフもたくさんいたしね。でもあんだけ盛り上がって舟盛り頼んだら、怒られるよね。だって当時俺ら28歳くらいじゃん? ペーペーのアングラーだったしさ。でもこれがなかったら、俺らどうなってたか、わかんなかったよなー」

編集部:これで金森さんが勝ったというのもあるし、この対戦でさらに人気が加速したという一面もあると思います。

金森「うーん、まぁ、もともと自分、人気者でしたけどね(笑)。ただ、俺はルアーマガジンには出してもらえない人だったから(笑)。金森隆志はロッド&リール専属、みたいなね。で、これがなかったら、そのあともルアマガと楽しくやれるってのはなかったかもしれない。今までやってきた陸王のこのテンションとかも当然なかっただろうし。だから、俺にとっては無茶苦茶大きな分岐点だったと思う」

編集部:江口さんと戦うとなって、当時の編集部はカナモが江口くんに勝てるわけがないって、そんな雰囲気だった。

金森「そう。極論9対1だから。その1票が今目の前にいる記者さんなんだけど。 あれでしょ? あなたが当時メガバス担当だったから入れただけでしょ?(笑)」

江口「まぁ、当時、イケイケだったからなぁ」

金森「当時、次の天才は江口でしょっていう雰囲気があったよね。トーナメントから離れたところにいた俺にすら、江口の名前が響いていたからね。若手ナンバー1は江口だよっていう空気があった気がする」

江口「うーん、かもしれない(笑)」

金森「だって、今江(克隆)さんのブログにもチョイチョイ名前が出てきてたもん。だからみんなが認める、自分と歳が近いスゲェやつなんだっていう認識ではあった。でも、俺はトーナメントを知らないから、トーナメントで強いアングラーがどれくらい凄いのかがわかっていなかったからよかった(笑)」

江口「でも、陸王に参戦してみて、改めてボートの釣りと陸の釣りは違うんだなと感じたよ。誰もがオカッパリのバスフィッシングは通ってきているし、ある程度はやれると思っていたわけ。でも、オカッパリの人はそこに特化している、磨き方が違うなとは感じた。で、陸王にトーナメンターも出てきて、陸の釣りをやらなきゃ、みたいな雰囲気にはなったよね。結構、紀の川戦はそのハシリだった気がするよ。陸王のようなオカッパリのコンペティションはそれまでなかったから、トーナメンターが最強って思っていたしね。でも、カナモと対戦して負けて、ステージが全然違うんだなとは思ったね。陸王がきっかけで、バス釣りのボートのトーナメントと陸のコンペティションというのが別物だという認識を深めるきっかけになった気がする」

金森「そういったことを試合が終わったときに俊介が言ってくれて、心がパッと開けたと言うか、あ、へぇ、受け入れてくれるんだって思った」

編集部:ある意味、そこを受け入れていない人が多い時代ではありましたよね。でも、金森さんがちゃんと他誌の取材で結果を出していて、取材で結果を出すって難しいことなのにそれをしっかりこなしていた。なので、念のため言っておくと私としても当時メガバスの番記者だから金森さんを推してたわけじゃないですよ(笑)。

一同:笑

金森「そのあと僕も船に乗るようになって、去年、バサーオールスタークラシックに出場させてもらって、改めてみんな凄いなと思ったの。広域でバスボートを操って、見定めたポイントに向かってバス釣りをして、勝つためにトーナメントの釣りをして結果を出す。いやぁ、自分はなかなか思うようにやれない」

江口「トーナメンターの立場としては、とは言えメディアの取材ではオカッパリの取材も受けていたから、そんな気にもしていなかった。ただ、対決となるとショアコンペティション的なものはなかった時代だったしね。ルールもあとから確立されていって、紀の川の対決のときはプラクティスもなくて、ぶっつけ本番でその日の紀の川に立った。どのポイントを選ぶかという着眼点の違い。それに当時はやられたような気がする」

金森「プラクティスがなかったからこそ、普段やっているボートの釣りと岸釣りの差が出た試合になったと」

編集部:そんな陸王の試合を経て、金森さんがレイドを立ち上げたのがこの試合の3年後の2011年。江口さんはジャクソンでものづくりをされていて、そこからレイドジャパンに入られたのは2014年。で、江口さんはレイドに加入してどういった仕事をされていましたか?

江口「最初から開発だったかな」

金森「もともとレイドジャパンは岸釣りに特化したメーカーという立ち位置だった。でも、時勢的にどんどん岸釣りのポイントがなくなっていくような状況があった。地域によってはリリース禁止とか、これはバス釣りの遊び方や地域が限定される時代がくるぞと。そういった中で、レイドにトーナメントシーンのフレーバーというかエッセンスが加わることは大事だなと思っていましたね。まぁ、それ以前に陸王を通してライバルでもあり友人でもある関係で、朝まで飲んで失敗してとか、しょっちゅうあって(笑)。気心が知れた仲だったから信頼できるし。だから僕が江口をナンパしました(笑)。ナンパした場所は、俺ん家のキッチンの換気扇の下でした(笑)」

江口「ちょっとイタダキを取りにいかねぇか?って(笑)」

金森「半分酔っ払いながら、俊ちゃんがイタダキってかっこいいねぇ! なんて反応しながら。まぁ、お互いのタイミングがよかったんですよね。次のステップに進みたいと思っていたので。で、俊ちゃんの卒業動画でも言ったけど、メーカーの礎を築いてもらった。江口俊介がいたからメーカーの商品として安心してもらえたし、信頼してもらった。今、レイドにいるトーナメンターは、江口俊介がいるからメーカーの門を叩いてくれたってのもあるしね。貢献してくれたというのは間違いない。えーと、いつでも戻ってきてくれていいですよ(笑)」

一同:爆笑

編集部:江口さんは今後、どんな活動、どんな江口俊介を見せていきたいですか?

江口「まぁ、ブラックバス釣りを今後やめるわけではないですが、バス以外の釣り、釣りそのものが昔から好きなんです。季節ごとに楽しめる面白い釣りがほかにもあるので、トーナメントで培ったバスアングラーとしてのノウハウを軸にしながら、ほかのジャンルにもそれを落とし込みつつ、国内外問わずいろんなジャンルの釣りに携わっていきたいなと思っています。そういったアイテムを作っていくブランド、開発をやってみたいですね」

金森「レイドではできなかったもんね。俺はバスしか知らないから、それをどう俊ちゃんにやってもらったらいいかわからなかった。…あとは俺のエゴかな。江口俊介はまだバス釣りを全部やり切っていない。江口俊介を知っているアングラーに聞けばわかるけど、釣りのセンスとスキルはピカイチ。そういう意味ではまだバス釣りでいいんじゃないか! 俺は勝手にそう思ってた。別にわだかまりではないんだけど、そこの思いはあったから。すげぇ安っぽいけど、まぁ『音楽性の違い』ってやつですかね(笑)」

江口「釣りの最中、そんなこと言ってたよね(笑)」

金森「人気バンドが解散みたいなときに、音楽性の違いですかね?みたいなのあるじゃないですか(笑)。実際はほかにも色々あるとは思うんですけど。でも、平たく表現するとソレ(笑)。ただね、会社を離れる相談を受けたときに『またライバルになりたい』と俊ちゃんに言われたら、何も言えねぇなぁと。こんなキラキラした表現、どうでもいいやつには言えない表現だから」

江口「こういうこと言い出すと、バス釣り辞めたんでしょとか言われがちなんだけど、そうではないですから」

金森「知らない人もいるかもしれないけど、江口俊介の釣りに対する先見性とか、釣りに対する匂いの感じ方、それを形にする指先ってすごくて。それで一緒にやりたいってのもあったからね。世の中には全く関係のない人があーだこーだ言うけれど、それだけはマジで許せなくて。俺たちの関係はそんなんじゃないから。だからこそ、これからもエールを送りたいと思って卒業の動画も作りましたからね」

編集部:確かに、まだレイドのシャツ着てますしね(笑)。今日はありがとうございました。これからのレイドジャパンの発展、江口さんの活躍を祈念してます!これからもよろしくお願いします!

金森「『ライバルに戻りたい』なんて言われたら送り出すしかないでしょ?」

江口「いろんな釣りのプロダクトに関わってみたいんですよ。」

※掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。※掲載されている製品等について、当サイトがその品質等を十全に保証するものではありません。よって、その購入/利用にあたっては自己責任にてお願いします。※特別な表記がないかぎり、価格情報は税込です。