メガバス誕生秘話、数々のスタープレーヤーとの出会いを伊東由樹さんにロングインタビュー

遠州生まれ浜名湖育ち。マッディシャローに魅せられつつも、プロトロッドを片手にアメリカに殴り込む向こう見ず。伊東由樹……これは彼の唯我独尊と奇跡的な出会いが、メガバスに集約されていく物語。

●文:ルアーマガジン編集部

2024 新製品情報

釣りエリート的環境さえも反発。三つ子の魂は海を渡っても

浜名湖の水を産湯とし、実家は釣り宿。周囲はみな漁師。英才的釣り環境にありながら音楽とルアーフィッシングを求め東京に飛び出した伊東由樹青年。いや、その前にもう物語は始まっている。

伊東「そもそもオヤジは僕が釣りをすることに反対でしたからね。釣りらしいことは『伊東結び』という我流のノットを教わったくらい」

それに反発するようにのめり込んだのは、エサではなくルアー、海釣りではなくバス釣りだった。親の目を盗んでは桐箪笥の引き出し奥を切り取ってルアー製作&釣り三昧。

伊東「ルアーに関してはゼロというよりマイナスからのスタート(笑)。バス釣りに走ったのも、生まれた瞬間から漁業や漁獲といったコマーシャリズムに囲まれた環境に対する反発でしょうね」

中学、高校に進学すると今度はロックに傾倒する。おそらく昭和で1番校則や世間の目が厳しかった頃だ。学校でも他人に迷惑をかけることはなかったが、メタル一辺倒で放課後はギターをかき鳴らす。幼少期から筋金入りの反体制!

伊東「それはモノ作りを始めてからも。ショップさんに行っても、自分の作ったモノにケチつけられたらすぐケンカ(笑)。それでメゲはしないんですが、そうやって自分なりに社会を勉強していくわけです」

特定外来生物法のころも、取引先や銀行にバスから撤退しろと言われても頑として譲らず。誰からもムチャだと言われても、使いたいからリールを開発する。

伊東「しかも1番需要のない、丸形ベイトリールから開発して(笑)。まあアームズにしても、そもそもが自分の釣りのために作ったモノ」

反体制、反骨、初期衝動。そういった情念から湧き出るチャレンジ精神は、国内だけに止まらない。そう、アメリカだ。

伊東「当時、アメリカにとって日本はただの上客。日本製のタックルは全然受け入れられてなかった。そこにプロトのデストロイヤーを手に乗り込むワケです。日本人がロッドを買うんじゃなくて売り込みにきやがった、しかも破壊者なんていう名前のロッド……って。また向こうでもケンカですよね(笑)」

「絶対取り扱わない」「潰してやる」とアメリカ人から罵声を浴びても、浜松やらまいか精神が揺らぐことはなかった。まさにそんなとき、捨てる神あれば拾う神あり。マイナー時代のディーン・スターキーと知り合い意気投合する。

伊東「彼はレッドマン(トーナメントシリーズのひとつ)で、デストロイヤーのプロトを握り年間優勝を達成し、クラシック的な試合にも勝つことができた。平行して日本では児玉一樹がJBTA(現JB)でA.O.Y.を獲得。そうやって閉塞的な現状を破壊していったんです」

そして、思わぬ敵が現れる。バスワールド誌と現地メディアの共同でのマッチプレー企画。伊東とアメリカの現地プロとのガチンコ勝負連載だ。その3回目に登場したのが、アーロン・マーティンスだった。

伊東「アーロンのお母さんキャロル・マーティンスもただ者ではなかった。バスプロを職業に女手ひとつでアーロンを育てた人。アーロンも、ある意味なるべくしてプロになった」

試合は、名竿F3-610XSとオカシラジグヘッドでサイト戦を制した伊東の勝利。

伊東「当時、J&Tタックルというお店を間借りして米国拠点としていた。そこにいるときは店番もしなきゃならなくて。マッチプレーのあと、店番をしていたらアーロンがやってきた。ユキが使っていたあのロッドとサカナの顔のジグヘッドを売ってくれと。ちょうど帰国が迫っていたので、プロトだったロッドもオカシラも君にあげるよとプレゼントしたんですね」

帰国直前に設定されていた伊東のマッチプレーにもアーロンは応援に駆けつけた。帰国後、国内で溜まった仕事に忙殺されていると、1通の小包が届いた。

「高い釣獲力を証明すべく出演するようになったメディア。ロケでの真剣勝負はチームワークの賜物か、なぜか奇跡が起こる」その奇跡を再現したくて、新たなアイテムが生み出される。

伊東「それがアーロンからでした。手紙に写真とボロボロになったオカシラジグヘッドが添えられていた。クリアレイク(という名の湖)の大会で、ユキにもらったタックルで優勝したと。写真にはトロフィーとバスを持ったアーロン」

対戦時、西海岸ナンバーワンと言われていたアーロンに対し、当時ランディやダニー・コリア達の全米のツアーをサポートして回っていた伊東にとって、西海岸のローカルに留まる当時のアーロンは真のナンバーワンじゃないと煽ったようだ。

伊東「アーロンは『B.A.S.S.に出てこいや』と受け取ったらしく。全米で戦うためメガバスでサポートしてくれという言葉で手紙は締めくくられていました」

でも手紙の文字がめちゃくちゃ汚くて、ところどころ判別できなかったと伊東は笑った。熱い想いを受け取った照れ隠しだろう。そしてアーロンは既知の通り、05年と13年にA.O.Y.を獲得。対戦も舌戦も繰り広げた相手と、アメリカの高い壁を破壊したのだった。

伊東由樹さんのプロフィール

伊東由樹(いとう・ゆき)

カリスマアングラーとして腕前も超A級。ジャパングッドデザインアワードをはじめ、世界三大デザインアワードとして知られるIFデザインアワードやレッドドットデザインアワードでは、スポーツ用品業界屈指、驚異的な数の受賞歴をもつプロダクトデザイナーとしても名を馳せる。日本のルアー生産の礎を築き上げたメガバス・グループ創業者。

かつてのライバルをも共に。加速する人対人の化学反応

アメリカでの伊東の活動によって、アメリカのプロたちがメガバスに引きつけられ、仲間に加わっていく。

伊東「上を目指すトーナメンターの高いモチベーションに応えなきゃいけないから、自分の意識も自ずと高まりますよね」

相互に触発し合うという関係性が、モノだけでなくコトとしてメガバスを形作っていく。

伊東「今江(克隆)さんもそうですよね。バス釣りの究極解をふたりで探求していこうという思いでやっている。勝つためのモノを最優先にしているから、IXIシャッドなんていまだタイプ2が出ない(笑)。プロトも作ってあるし、僕もめっちゃ釣ってますが今江さんの最優先事項じゃない。それよりもゲキアサよりゲキアサなシャッドのリクエストがくるし、それに対して僕はハイドロダイナミクスで目指したいと。その応酬が唯一無二のモノ作りに繋がっていく」

伊東由樹・今江克隆共同プロデュースのIXIシャッドシリーズ。最新のIXIフューリアスはヘッドから水を取り込み潜行を助長せぬようエラのダクトから排水するウォータースルー構造(PAT.)を導入した超々シャローランナー。超高速でも安定して爆走する。

かつては対極にあった3人が、今は互いをサポートする仲に

伊東「より相互の理解が深まっているのは、35年以上続けているからでしょうね。今は、なぜ相手はそこを面白く感じているのか、自分はなぜこちらが面白く感じているのか、理解する気持ちが大きくなった。新しい概念を咀嚼して、深いレベルにまで落とし込んでいって腑に落ちると新しいモノが生まれる」

そういうことがないと飽きちゃうし、マンネリになっちゃいますからねと続けた。人同士の化学反応がまだ見ぬ世界を切り拓く。

伊東「初期衝動のまま前にだけ向かって疾走してきた(笑)。昔から変わらないのは、自分がそれで釣りたいという情念。創業者だから貫けるワガママみたいなもんです」

伊東「古いところでいうと、理解者という意味で楠ノ瀬直樹さん(故人)。印旛沼の全周を2m置きにVフラットで撃っていたら『オレなんて50cm置きにジグ撃ってるぜ』なんて声がけしてくれて。ジグにはいつも真っ赤なファイヤークローのトレーラーで、アメリカを感じさせてくれましたね」

幻のジグNダムコブラを作ったレジェンドとも偶然に知り合う。

伊東「ルアーを納品しなきゃならないのに雨の日の印旛沼に出かけて。車内でVフラットにウレタンをコーティングして並べていった。隣の車でも同じことやってるな……と思ったら楠ノ瀬さんで、ジグをコーティングしていた」

Vフラット、いいルアーだよねサポートしてよ。もちろん! と、ここでも意気投合。

楠ノ瀬直樹(くすのせ・なおき)

バストーナメント黎明期から活躍。様々な釣魚を愛し、バーブレスの提唱なども。2016年没、享年56歳。「メガバス初期の数少ない理解者ですよね。印旛沼や新利根側、州の野原で鮮やかに釣っていた」

伊東「当時楠ノ瀬さんはSBCという団体と水郷プロオープンに出ていて、めちゃくちゃ強かった。ジグ使いの人だったけど、Vフラットを認めてくれたのが嬉しかったなぁ。一緒に関東のシャローを制しましょう! なんて盛り上がって。当時はまだ出会ってないんですが、その楠ノ瀬さんの舎弟的存在が、柳(栄次)だったんですね」

のちにメガバス・デストロイヤーの使い手となり、JBワールド(現トップ50)で2度のA.O.Y.に輝いた柳。彼もまた楠ノ瀬譲りのジグ撃ち名手だった。トップカテゴリでもアルミボートで勝利をもぎ取る生粋のシャローマン。

伊東「でも異端児でしたね。ジグしか使わないから、メーカーとしては契約しづらかったでしょう。でも楠ノ瀬さんとの釣りがあったから、彼を素直に受け入れられた」

想いは受け継がれ開花する……水郷からバスマスターへ

23年、メガバスのスタッフに加わったのはブランドン・パラニューク。サポート外のメガバスルアーを試合でも投入してきた、異色のトップアングラーだ。

伊東「彼が釣りの師匠と同船した春先。シャローを意識したバスが1段下の待機場に密集していたそう。彼はジグで、師匠はなんとディープX100を引き始める。そこでボコボコに釣られバス釣りに開眼したと熱く話すんですよ。バスにはシーズナルな動きがあること、食わせじゃなくリアクションの釣りがあること、再現性のある釣りだということ……。もちろんメガバスのすごさも知ったと」

トラウトが盛んな地域で育ったにも関わらず、その釣りでバスプロになることを決意したブランドン少年。

伊東「しかもディープXなんて子どものお小遣いで買えるようなプライスじゃないし、根がかりしたら終わり。師匠はそのあとブランドンにディープX100をプレゼントしたというのですが……。実はその当時、僕がショップ営業をしていた地域での出来事だったんです」

なんという奇跡! 師匠がディープXを手にし、その実力に惚れ込み一軍ルアーとして投入する。奇跡ではなく必然なのか。

BRANDON PALANIUK(ブランドン・パラニューク)

バスマスターエリートシリーズで2度のA.O.Y.を獲得。クラシック制覇にも期待が掛かる。

伊東「彼の少年時代の原体験を、試合で再現したいね」

彼との詳細が記された特設ページは、このリンクからアクセス!

伊東「その師匠が投げていたディープXのカラーが、ファイヤークローパターン。当時リアルなベイトフィッシュカラーが好評でしたが、クローカラーだけはギラギラの赤ラメ。そう、楠ノ瀬さんの影響でクランクやるならクローはアメリカっぽいカラーで! と息巻いて作っていた。国内のショップからはあまり評判が良くなかったけど、押し通して作ったカラー。ブランドンの師匠も、その湖のその時期だからクロー系のディープXを投入したんだと思います。それがブランドンの原体験に繋がった。僕と楠ノ瀬さんとの出会いが、ディープXのファイヤークローカラーを生み、ブランドンをバス釣りへとのめり込ませるきっかけとなった。どれもが必然となっていく、時空を超えて紡がれる縁のようなもの」

ブランドンが憧れのブランド・メガバスと交流を持ち始めたのが12年前。今年、晴れてメガバススタッフとしてスタートを切る。

国内最強のバスプロを繋げた、早世の天才アングラー

伊東「本当に惜しいと思うのは、井手(隆之)くん。天性のフィッシングセンスを持った、ザ・メガバスといったアングラー。デストロイヤーF6-67Xジーアックスは、彼のために作ったロッド。得意な琵琶湖のシャローやウィードを攻めるためのモデルでした。練習熱心だし、メガバスルアーを高度に理解しようと釣り込んできて。その姿勢を見習えとほかのスタッフを怒ったことがあるくらい(笑)。当時、チームは違えど仲良く切磋琢磨していたのが小森(嗣彦)くん。井手くんの葬式で見かけたのが最初で、印象に残っています」

井手隆之(いで・たかゆき)

JBワールドではA.O.Y.も獲った実力者。2005年没、享年33歳。「生き方は不器用なんだけどナイスガイで、誰からも愛されていましたね」

JBトップ50で前人未踏、通算4度ものA.O.Y.に輝いた最強プロ、小森との縁。それも親しい人が紡いでくれた。

伊東「アーロンとやり切れなかったことをブランドンとやっていくだろうし、井手くんとやりたかったことを小森くんらとやっていくのかもしれません。ここまでくると、全てが繋がってくるし、全てのことに意味がある。35年間、良かったことも、苦しかったことも、全てが自分の中で腑に落ちて、やがてMEGABASS(巨大な鼓動)になっていくんです」

『ルアーマガジン』2023年9月号 発売情報

ルアーマガジン史上初めてのスモールマウス×オカッパリの表紙を飾ってくれたのは川村光大郎さん。大人気企画「岸釣りジャーニー」での一幕です。その他にも北の鉄人・山田祐五さんの初桧原湖釣行や、五十嵐誠さんによる最新スモールマウス攻略メソッドなど、避暑地で楽しめるバス釣りをご紹介。でもやっぱり暑い中で釣ってこそバス釣り(?)という気持ちもありますよね? 安心してください。今年の夏を乗り切るためのサマーパターン攻略特集「夏を制するキーワード」ではすぐに役立つ実戦的ハウツー満載でお送りします! そして! 夏といえばカバー! カバーといえば…フリップでしょ!! 未来に残したいバス釣り遺産『フリップ』にも大注目ですよ!


※本記事は”ルアーマガジン”から寄稿されたものであり、著作上の権利および文責は寄稿元に属します。なお、掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。 ※特別な記載がないかぎり、価格情報は消費税込です。