「とんでもねぇ…」釣り人・藤田京弥とは? ブラックバス釣りのプロ29人が語るヤバさ。

『藤田京弥』という選手を語ってくれた29人

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黒田健史(くろだ・けんし)

当初は京弥選手に懐疑的も、昇格初年度からの「肝が座った存在感」に驚愕したという。

18開幕戦前のこと。彼はノムシュン(=野村俊介)の教え子で「京弥はどこでも釣れるって」と聞いて驚き。そんなバカな、難しい時期なのに…と思ってたら初日2位。マスターズで凄いと噂が立っても、多くは結果を出せないもの。最初からトップ50で強さを見せ続けたのは彼だけですよ。

泉 和摩(いずみ・かずま)

1980年代に日本人として初めて米国参戦を果たした始祖にして、国内最高峰戦のスーパーレジェンド。御歳68歳。

長い間、釣りの上手い人を見てきましたが、他とは全く違う。もう別次元で得意不得意がない。選手に敵がいないから、自分の魚を釣るだけでいいんですよ。当初からアメリカ行ったほうがいいよと言っておきました。実際2023年、エリートでいきなり7位ですから。あっという間に世界一になるでしょうね。

武田栄喜(たけだ・はるき)

18七色ダムで優勝レースを繰り広げた際は 「アイツが大きく見えた」と完敗。だが21遠賀川では最終日に逆転優勝!

18七色では腰が引けた。自分の力の半分も出せなかった。それから3年後の21遠賀川、首位の京弥を追う立場からついに逆転できたのは快感でした。その後、今はどう思ってるか? 藤田さんって呼ばせていただいてます(笑)。

梶原智寛(かじはら・ともひろ)

2023トップ50AOY。19京弥選手と同じく23歳の最年少獲得。ポスト京弥の呼び声高い若手の最注目株だ。

僕が戦ってきた中で、初めての壁が京弥さんでした。これは無理、敵わない…何度も力の差を見せ付けられました。でも倒さなきゃ上に行けない。闘志のスイッチを入れてくれた存在でもあります。京弥さんはいつも完全勝利。釣りって、試合って、運で勝てるほど甘くない。それを改めて感じさせてくれます。

小森嗣彦(こもり・つぐひこ)

当企画のトリを飾るのは、JBトップ50戦で最多となる4度のAOYを獲得したMr.トップ50!

2018年に前評判の凄い男が昇格して来たんです。戦っているうちにヤバいなとは思う瞬間はあったものの、当初は得意な釣りだけで勝ってるのかなとも。

ところが翌19年はAOY。それだけじゃないことに気付いたんです。経験とか関係なく、その鋭い感性や魚への嗅覚に圧倒され、「俺はもう勝てないのかもな」って自宅で呟いたことがあるんですよ。

それを聞いたカミさんが「じゃ辞めたら? 勝つ気がない人なんて応援したくない」って。これがもう一度、俺のバスプロ人生に火を点けましたね。

20年のバスプロ生活で気付いたこと。それは野球で例えるなら、100球全て160kmを出せるピッチャーはいない。1球だけでも160kmを出せれば、勝機はある。選手としてのピークを過ぎたと言われる中で、20東日本パスプロ選手権で京弥を2位に抑えて優勝できたのは良い経験です。

翌21トップ50はAOY争いして、最終戦でまた勝てなかった。次の22は1戦欠場してくれたおかげで勝てた。それは事実。もう彼にはリスペクトしかございません。

ありきたりな表現をするなら、“バス界の大谷翔平”ですよ。作ってきた錚々たる実績、釣りに対する前向きな姿勢、起こり得るだろう華々しい未来。僕のライバルだったなんておこがましくて言えない。日本の代表、俺たちJBトップ50選手の代表として、世界を制して欲しいですね。

2021年、事実上の最終戦となった弥栄ダム戦。小森選手が16点差の首位で迎え撃つも、この試合で京弥選手が準優勝。結果、わずか1点差でAOYの座を奪われた…弥栄ダムの悲劇。


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